昭和天皇のクズ発言・クズ行動一覧

昭和天皇がいかにクズ人間であったかがわかるエピソードをまとめています。太平洋戦争中・後を通じて国民の命をなんとも思っていない本音がわかるクズ行動、戦争責任をまるで感じていないクズ発言を一覧表記しました。

  • 2019年8月6日
  • 2020年2月16日
  • 政治

あいちトリエンナーレ2019における「表現の不自由展」で、昭和天皇の写真がガスバーナーで焼かれる作品が出展され、昭和天皇に再び注目が集まっています。

昭和天皇は大日本帝国の元首、そして日本国の象徴として、2つの時代を生きた天皇です。大日本帝国時代は「神」として崇拝の対象にもなっており、その影響は戦後にも残りました。現在も皇室への過度の批判はためらわれる、ある種のタブーが存在することは否定できません。

しかし、戦争に最高責任者として関わったからには、歴史の審判を受け、正しく批評されなければいけません。

戦後の「太平洋戦争の原因は軍部の暴走」などといった通説が嘘であったこと、そして昭和天皇が日本に生きた人々にとっていかに有害であったかが正しく伝えられなくてはいけません。この記事では、昭和天皇のクズ発言、クズ行動を一覧化し、彼がどのような人格の人間であったかがわかるようにまとめています。



特攻隊は「よくやった」

いわゆる特攻隊、神風特別攻撃隊は大西瀧治郎中将の命令によって1944年10月20日に編成された、戦死前提の体当たり攻撃です。

当初、大西中将は特別攻撃を1回のみで終わらせ、昭和天皇が終戦を決断することを期待していましたが、昭和天皇から褒められてしまったため、続けざるを得なくなりました。

つまり、昭和天皇は戦局が悪化しているにも関わらず、終戦にしようなどとは少しも考えていなかったことになります。大西中将は特攻を続けざるを得なくなったため、この後、多くの若者が命を落とします。

10月26日、及川軍令部総長が神風特攻隊の戦果を奏上し、昭和天皇(大元帥)から 、「そのようにまでせねばならなかったか。しかしよくやった。」と御嘉賞のお言葉を賜った。また、10月30日には米内海軍大臣に、「かくまでせねばならぬとは、まことに遺憾である。神風特別攻撃隊はよくやった。隊員諸氏には哀惜の情にたえぬ。」と仰せられた
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5%E6%94%BB%E6%92%83%E9%9A%8A

戦争はついに日本軍の作戦遂行能力の限界点を超え、統帥部の最低限の理性すら崩壊させたのである。天皇による「よくやった」という発言は、前線部隊にも伝えられ、さらなる特攻作戦を強行させる重要な要因の一つとなった。
出典:https://sabasaba13.exblog.jp/5413600/

昭和天皇は神風特攻隊について「よくやった」と述べたらしい。もしあの戦争勝っていたら東南アジア諸国を次から次と植民地にいていったかもしれない。昭和天皇の戦争責任は重い。

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1945年2月に降伏拒絶→翌月に東京大空襲

太平洋戦争の戦局が絶望的となった1945年2月、近衛文麿元首相が昭和天皇に終戦を決断するよう促した「近衛上奏文」を出すも、昭和天皇は敗戦を受け入れると国体が護持されないことに懸念を示し、「もう一度、戦果を挙げてからでないと」と却下しました。

天皇「我が国体について、近衛の考えと異なり、軍部では米国は日本の国体変革までも考えていると観測しているようである。その点はどう思うか。」
近衛「軍部は国民の戦意を昂揚させる為に、強く表現しているもので、グルー次官らの本心は左に非ずと信じます。(略)」
天皇「もう一度、戦果を挙げてからでないとなかなか話は難しいと思う。」
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E8%A1%9B%E4%B8%8A%E5%A5%8F%E6%96%87

近衛上奏文を出したときの昭和天皇と近衛文麿のやりとり。絶望的な戦局においてもなお、国民の生命より国体護持(天皇制維持)を第一に考えていたことがわかります。

いわゆる一撃講和論。相手に一撃を食らわせればより有利な条件で講和条約を結べるという考えを昭和天皇がこの期に及んで持っていたことになります。

なお、この近衛上奏文の約1ヶ月後、3月には一撃どころか、東京大空襲で多数の戦死者が出ました。その後、沖縄戦、原爆投下となり、兵士のみならず民間人の死者を爆発的に増やしました。

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▼それでも あなたは本当に日本人ですか (@∀@)昭和天皇が近衛上奏文に「もう一度、戦果を挙げてからでないとなかなか話は難しいと思う」などといわなければ早く戦争をやめていれば名古屋大空襲はありませんでした。天皇制が日本を危機に陥れたのです。


国民の命より三種の神器

日本は、ソ連を通じての和平交渉に望みを託す傍ら、本土決戦も覚悟せざるをえなくなった。
天皇がここで心配したのは、三種の神器のことだった。
出典:https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58837?page=4

7月31日に木戸幸一内大臣にこう語った。「先日、内大臣の話た伊勢大神宮のことは誠に重大なことと思ひ、種々考へて居たが、伊勢と熱田の神器は結局自分の身近に御移して御守りするのが一番よいと思ふ。[中略]万一の場合には自分が御守りして運命を共にする外ないと思ふ」(『木戸幸一日記』)
出典:https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58837?page=4

本土決戦かという状況で三種の神器もクソもないだろうっていう。もう負けるに決まってるんだから。三種の神器よりも国民の生命を守ろうとしてくださいよ。

原武史『昭和天皇』読了。「お濠の内側」で「祈る」裕仁に着目している。「天皇が最後まで固執したのは、…『三種の神器』を死守することであって、国民の生命を救うことは二の次であった。」原氏が天皇や天皇制の研究に向かうきっかけも知れて良かった。

裕仁が三種の神器に拘ったのは有名な話だ。それを奪われない為に終戦を決意したという説もある。天皇が拘ったのは神器によって皇祖の霊力を授けられるからだ。「何故攻撃に出ぬか…」太平洋戦争下の昭和天皇「お言葉」の数々 現代ビジネス

元寇(近年はそう呼ばないらしいが)の侵略から領土を守ったのは鎌倉幕府らの武士団。その時天皇は祈っていただけ。敗戦間際の大平洋戦争では昭和天皇は三種の神器の事で頭がいっぱいだった。陸軍と海軍は纏まるどころか対立していた。


原爆投下後も国体護持できなければ戦争継続するつもりだった

「十二日、皇族の参集を求め私の意見を述べて大体賛成を得たが、最も強硬論者である朝香宮が、講和は賛成だが、国体護持が出来なければ、戦争を継続するか[と]質問したから、私は勿論だと答へた」
出典:https://gendai.ismedia.jp/articles/-/52568?page=4

ポツダム宣言受諾直前の1945年8月12日、皇室を集めた会で昭和天皇はポツダム宣言受諾の決意とその理由を語りました。

「昭和天皇独白録」には、この会で朝香宮鳩彦王に「国体を護持できなければ戦争を継続するのか?」と聞かれ、「もちろんだ」と回答していることが記されています。

つまりこのとき降伏しても天皇制は維持されることを確信していたと同時に、維持されないならさらに犠牲者を増やして戦争を継続するつもりだったことがわかります。

1945年8月12日15:20 御文庫附属室で皇族会議が始まる。天皇に梨本宮守正王が、在京皇族5家13人を代表して終戦の決断を支持すると表明する。一方で朝香宮鳩彦王は「国体を護持できなければ戦争を継続するつもりか」と質問し、天皇は「もちろんである」と返答する 芙蓉録

いや、普通に天皇は中国大陸の進出に事後承認出してるし、226の時は陣頭指揮を執って部隊を鎮圧してるから「天皇には権限はなかった」的な言い訳も成り立たないし、しかも後半は「国体が守られなければ戦争を継続する」と朝香宮にはっきり言ってるし、戦争継続に固執してるのも事実。全て事実だろ。


子供に「家は焼かれなかったの?」「はい、焼かれました」

戦後昭和天皇が慰問先で被災した子供に話しかけてる映像を見た夫が一言「狂ってる」と。天皇「家は焼かれなかったの?」子供「はい、焼かれました」天皇「えっ?本は大丈夫でしたか?よく勉強しなさいね」日本にはまだタブーが存在する。

昭和天皇が子供に話しかけるシーン、「家も焼かれました」の後の、「両親も死にました」「あ、そう。教科書も焼けたの?よく勉強しなさいね」という浮世離れしたやりとりはカットされてたね

終戦後の全国巡幸の一幕に、少年に対して「家は焼かれなかったの?」と聞く場面があります。「はい、焼かれました」という返答に、なんと昭和天皇は「本は大丈夫でしたか?」と意味不明の質問をしています。

家が焼かれたら普通は本も焼かれるものです。なにより、家が焼かれた少年に対してねぎらいも謝罪もないところにサイコパス的な怖さを感じます。

ちなみにこのとき少年は「両親も死にました」とも言っているそうです。


食糧不足で皇居デモ→「助け合って生きろ」

1946年5月19日、食料メーデー(正式には「飯米獲得人民大会」が行われた。人民広場(皇居前広場)に25万人が集まった。この集会には教師に引率された小学生も多く参加し、給食復活などを訴えた。
出典:https://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/ec01a615ce943538e7fc644bc42d5363

デモ行進中の一人である日本共産党員・松島松太郎が掲げたプラカードの一つの表には、「詔書(ヒロヒト曰ク)国体はゴジされたぞ 朕はタラフク食ってるぞ ナンジ人民飢えて死ね ギョメイギョジ」と、その裏には「働いても働いても何故私達は飢えねばならぬか天皇ヒロヒトよ答えてくれ 日本共産党田中精機細胞」と書かれていた。
出典:https://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/ec01a615ce943538e7fc644bc42d5363

このプラカードに対して当時まだ有効であった刑法の不敬罪が適用され起訴された。しかし、不敬罪は新憲法で廃止されることになっていたので激しい論争を呼んだ。
出典:https://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/ec01a615ce943538e7fc644bc42d5363

このプラカードで批判された天皇は、5月24日、終戦時以来再びNHKのラジオのマイクの前に立ち「相扶(たすけ)食糧難克服を」「家族国家のうるわしい伝統に生き、難局克服を期待する」などと国民に訴えかける言葉を述べられた。(敗戦時以来2度目の玉音放送)。
出典:https://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/ec01a615ce943538e7fc644bc42d5363

1946年5月に、あまりの食糧不足に怒り狂った国民が皇居前でデモをします。このとき集まった国民は皇居内へ突入し、皇居内食堂の豪華な食材を見て驚いたそうです。

自分が始めて終わらせた戦争の影響でおびただしい数の餓死者が出ているにも関わらず、「お互いに助け合って生きろ」という他人事のような言葉を国民に投げかけているところに異様さを感じます。

誰のおかげでこんなことになっているんだという認識がまるでなかったのでしょう。国家による国民へのDVのようにも受け取れます。

そういや高齢者も案外知らない事実。敗戦の翌年、皇居前に25万人もの国民が集まり食糧難に抗議した。まじです。デモです。食糧メーデーという。GHQに怒られたけどwこれを受けて昭和天皇は、"同胞互いに助け合い…"との声明を発表。

昭和21年5月1日、飢えに苦しんでいた人々は皇居に押し寄せ食糧メーデーが起こった。孤児たちは靴磨きをして路上で暮らしていた。その頃のある日皇族が食していたメニューは、平貝、海苔の酢の物、おでん、鮪の刺身、天ぷら、から揚げなど13品。


戦争責任について

[問い] 陛下は、ホワイトハウスの晩餐会の席上、「私が深く悲しみとするあの戦争」というご発言をなさいましたが、このことは、陛下が、開戦を含めて、戦争そのものに対して責任を感じておられるという意味ですか?また陛下は、いわゆる戦争責任について、どのようにお考えになっておられますか?(ザ・タイムズ記者)
[天皇] そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究していないので、よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えできかねます。
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%B8%E3%81%AE%E5%8E%9F%E5%AD%90%E7%88%86%E5%BC%BE%E6%8A%95%E4%B8%8B

1975年10月31日、日本記者クラブ主催「昭和天皇公式記者会見」で、戦争責任について問われた昭和天皇は、質問には答えませんでした。

戦争責任を追及されることだけは、なんとしてでも避けたいという強い意志が伺えます。これはつまり、戦争責任を追及されても仕方のない状況を昭和天皇自身が自覚していたとも言えます。

「言葉のアヤ」「文学方面はあまり研究していない」などと話をそらす態度に、戦死者を舐めきった本音を感じてしましまします。

昭和天皇が英字新聞記者に戦争責任を問われ「文学方面」には詳しくないから分からないと答えたのは有名な話。数千万人を殺した日本軍の最高責任者が、自分の引き起こした大惨事を「文学」の一言で片付けるのを、ロクに批判もしなかったメディアとコクミン。それが今の安倍政権を準備したのだ。

昭和天皇は75年の記者会見で、「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないのでよく分かりませんから、そういう問題についてはお答えが出来かねます」と答えている。昭和天皇が自身の戦争責任について全く反省せず、真摯に向き合ってなかったことは明白だ。


原爆投下はやむを得なかった

1975年10月31日、日本記者クラブ主催「昭和天皇公式記者会見」で、原爆投下について以下のようなやりとりをしています。

[問い] 戦争終結にあたって、広島に原爆が投下されたことを、どのように受けとめられましたか? (中国放送記者秋信利彦)
[天皇] 原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾に思っておりますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむを得ないことと私は思っております。
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%B8%E3%81%AE%E5%8E%9F%E5%AD%90%E7%88%86%E5%BC%BE%E6%8A%95%E4%B8%8B

「気の毒であるが、やむを得ない」と原爆投下を肯定するかのような発言をしていることに驚きます。

リアルタイムで見ていた国民は、あまりのサイコパスっぷりに「えっ…」と腰を抜かしたと思います。今風に言えば自国ヘイトと言えるかもしれません。

原爆投下という未曾有の事態になったことへの反省と国民への謝罪、せめて二度と戦争はしてはならないといったセリフが少しも出てこないことに大きな違和感を感じます。

動画を見る限り、昭和天皇は発言中に小刻みに震えていますが、これは自分の責任を追及されるのを恐れて極度の緊張状態になったからではないかと思ってしまいました。

「昭和天皇は戦争に反対だったが軍部に逆らえなかった」というのはウソだからな。天皇は自分のお気に入りの部下を殺した青年将校の決起に激怒して鎮圧を命じ、「もう一度戦果をあげないと難しい」と降伏を長引かせた。その結果が原爆投下だ。むしろ軍部は天皇に逆らうことはできなかったのだ。

TBS報道特集を今見ている。1975年の昭和天皇の記者会見で記者の、原爆投下で日本国民が多大な被害を受けた事についてどう受け止めているか質問したことに対し天皇は、「原爆投下はやむを得なかった」、と明確に述べている事に非常な驚きを受けた。日本国民は天皇に命を捧げ守ってきたのだろうに

昭和天皇の戦争認識がここまで酷いとは、恥ずかしながら初めて知った。戦争責任に関する質問を「言葉のあや」だとか「文学方面の研究はしてないので分からない」と煙に巻き、原爆投下に関する感想には「原爆投下はやむを得なかった」と返答。酷い。

沖縄をアメリカに差し出す

米国国立公文書館には、米国による沖縄の軍事占領に関して、宮内庁御用掛の寺崎英成を通じてシーボルト連合国最高司令官政治顧問に伝えられた天皇の見解をまとめたメモが保存されています。

内容は概ね以下の通りです。
(1)米国による琉球諸島の軍事占領の継続を望む。
(2)上記(1)の占領は、日本の主権を残したままで長期租借によるべき。
(3)上記(1)の手続は、米国と日本の二国間条約によるべき。
出典:https://www.archives.pref.okinawa.jp/uscar_document/5392

メモによると、天皇は米国による沖縄占領は日米双方に利し、共産主義勢力の影響を懸念する日本国民の賛同も得られるなどとしています。
出典:https://www.archives.pref.okinawa.jp/uscar_document/5392

簡単に言うと、昭和天皇は日本の防衛のために沖縄を占領し続けて下さいとマッカーサーに言ったわけです。

ソ連など共産主義の台頭を見て、「自分の身が危ない」と思ってアメリカに守って下さいと沖縄を差し出したわけですね。日本が共産主義化すれば当然、天皇制は廃止されます。沖縄県民のことなどまるでお構いなしという本音を感じます。

しかも実際には軍事占領だけど、「日本の主権を残したままで長期租借」という形にすれば日本国民や国際社会も騙せるでしょうと、ご丁寧にやり方まで提案しているわけです。恐れ入ります。そもそも日本国憲法下の天皇って日本の象徴で政治には関わらないんじゃなかったでしたっけ? 自分の身が危ないと感じたら話は別ってことなんでしょうか。

よりによって太平洋戦争で天皇制を守るために大量の戦死者を出した沖縄に対して、このようなことをするところに昭和天皇の人間性を感じます。この天皇メッセージのおかげで沖縄は今も苦しんでいます。ほとんど国家による暴力ですよね、これ。

沖縄戦5つ目の史料は、5.1947年9月と1948年2月の2回『昭和天皇メッセージ』戦後沖縄を「米国に売った」天皇の戦後責任。昭和天皇はマッカーサーに、反共の観点から「日本」を守るとりでとして、沖縄の軍事基地化を提案し、さらに「日本」の防衛を米軍に委ねる旨の書簡を送った。

米国務省へ伝えられた≪天皇メッセージ≫1947年「天皇は沖縄の軍事占領継続を希望されていて(中略)沖縄を25年ないし50年あるいはそれ以上の貸与という形を取るべきであると・・」なぜ敗戦後も天皇は政治に口出しをしていたのか?

東京大空襲を指揮したカーチス・ルメイ少将に勲章を授与

3月10日、東京大空襲を指揮。
3時間で、日本は死者行方不明含め10万人以上、被災者100万人以上、約6平方マイル内で25万戸の家屋が焼失した。
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%82%A4

焦土作戦は、東京や大阪、名古屋等の大都市を焼き払った後は、富山市や郡山市などの地方の中小都市[17] も対象となった。これらの空襲は日本国民を震え上がらせ、日本側から「鬼畜ルメイ」「皆殺しのルメイ」と渾名された
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%82%A4

1964年12月7日、日本に返還されたばかりの入間基地(旧・ジョンソン基地)で、勲一等旭日大綬章を浦茂航空幕僚長から授与された
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%82%A4

戦後の日本は、東京大空襲を指揮した米軍の指揮官に勲章を与えています。

意味不明の行動です。さすがに昭和天皇による直接授与はなかったようですが、それは慣例通りとのことです。勲章にはしっかりと「裕仁」のサインと印鑑があります。つまり、昭和天皇が勲章を上げることを認め、GOサインを出したわけです。

このような場合、「戦後の天皇は政治には関われない。すでに授与が決まっていて判子を押すしかなかった」という反論をする人がいます。しかし、これは間違いです。「沖縄メッセージ」では政治に関わっておきながら、こういうときだけ「政治には関われない」と言うのは二枚舌です。そんな言い訳は通用しません。

▼3月10日の東京大空襲 を指揮したカーチス・ルメイへの勲一等旭日大綬章授与(航空自衛隊育成に協力したため)を閣議決定した佐藤栄作の発言「今はアメリカと友好関係にあり、功績があるならば過去は過去として功に報いるのが当然」※なお昭和天皇はルメイと面会せず、親授も無かった。

東京大空襲で多数の市民を虐殺したカーチス・ルメイに、天皇裕仁が授与した勲章。吉川勇一さんの市民葬で袖井林二郎さんが紹介された実物のコピーです。

戦争責任を言われ「つらい」

「仕事を楽にして細く長く生きても仕方がない。辛いことをみたりきいたりすることが多くなるばかり。兄弟など近親者の不幸にあい、戦争責任のことをいわれる」
出典:https://www.nikkei.com/article/DGXMZO34467630S8A820C1CR8000/

戦死した人の家族はもっと辛いんじゃないですかね? あまりにも酷すぎて唖然としました。

よく読むと、「戦争責任があると言われる」のがつらいだけで、「戦争責任を感じてつらい」わけではないことがわかります。

なんで戦争責任だとか言われなきゃいけねーんだよ、と侍従に愚痴ってるわけです。

本当に広島、長崎、沖縄、東京大空襲とかが自分の責任だなどと少しも思ってないんですね。この記事を見るたびにとても残念な気持ちになります。

「『戦争責任言われつらい』晩年の昭和天皇吐露」昭和天皇は、中国侵略でも対米英開戦決定でも、軍の最高責任者として侵略戦争拡大の方向で積極的に関与した。個々の軍事作戦に指導と命令を与え、戦争末期の45年に入っても戦争継続に固執して惨害を広げた。歴史の事実だ。

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天皇裕仁の「戦争責任つらい」話。まさに加害者なのに全力で被害者ヅラして二次加害する「日本人らしさ」の総本家だけある。まったくほめてない。そら安倍だって何だって「小天皇」なんだから責任とらんわ。

戦争責任を感じての「つらい」ではなく、戦争責任を言われての「つらい」。この違いは大きい。

まとめ

昭和天皇が誤った判断を繰り返し、また周囲の人間も何も言えなかったことで、多くの人が命を落とし、深く傷ついたことがわかる。

ここで「表現の不自由展」に展示された昭和天皇の写真を焼く作品を引用してみよう。

SNSなどでは多くがこの作品に批判的だが、私は昭和天皇の発言、行動に対する批判表現として正当なものだと思った。少なくとも、昭和天皇には写真を焼かれても仕方のない発言、行動があった。

これだけ戦争に深く関わっていたのだから、戦争責任を指摘されるのは当然のことである。

息子である明仁、現上皇陛下はそのことを深く理解していたので、平和を全面的に称賛するスタンスをとった。

一方で、昭和天皇や皇室への崇拝は、昭和時代よりも強まっているように見える。少なくとも、表現の不自由展へのSNSでの反応を見るとそう思う。

昭和天皇が批判されると、まるで自分が批判されたように発狂する幼い人間が増えた。「日本人の心が踏みにじられた!」などと難癖をつける人間が増えた。アンケートもとってないのに、どうして日本人の心が踏みにじられたかどうかわかるんですかね。

昭和天皇によって苦しめられた一般庶民の息子、孫世代が昭和天皇を崇拝しているというのはとても皮肉だ。

おそらくこの傾向は、今後さらに強まる。

大日本帝国が失敗した原因は、昭和天皇のような軍人でもない、政治家でもない凡人に強大な権力を持たせたことだ。選挙や第三者の審査を受けていない資質のない人間が国家運営に関わったことで、多くの誤った判断がなされ、日本人・外国人の多くの命が失われた。

この失敗を繰り返さないために、天皇、および皇室が再び権力を持つことがないよう、常に監視しなければならない。少なくとも、国家運営は選挙によって選ばれた人間によって、つまり国民主権によって行われる状態を維持しなければならない。そのためには昭和天皇のクズ発言、クズ行動を後世まで語り継がなければならない。




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名無しの猫
ゲスト
名無しの猫

切り口は新鮮だし、天皇制に批判的な視点を持つことも重要だと思うけれど、ソースはバラバラかつ信頼の置けないもので、またどうとでもとれる事柄を単一の視点から評価しねじ曲げている感が否めません。
炎上を狙ったアフィリエイトにしても中途半端。
せめてもっと文章力、考察力と、情報を見る目を鍛えてから記事を書いていただきたいです。

いるか
ゲスト
いるか

「切り口は新鮮」って、こんな切り口は全然新鮮ではなく、今まで繰り返し言及され続けてたことだと思いますよ。それこそ軽いネットの投稿から、重厚な雑誌論文に至るまで何度も。もちろん右翼の抗議や意見を異にする学者との論争も繰り返し。
はてなブックマークのコメントにも「こんな発言を初めて知った」というものがありましたけど、こういった内容が「新鮮」になってしまった現代が改めて息苦しい世の中になってるのかなぁと思いました。

たぬき
ゲスト
たぬき

同じことを感じました。ただ、ページを作成した人の意図がその「新鮮な切り口」を提示したかっただけならこの内容でも充分なのかな、と。昭和天皇に全責任があると言い切る過激な人はなかなか少数派ですしあまり相手にされませんが、このような構成文体であれば「こういう考えの人もいるのか」と感じる人が出てくるのではないでしょうか。現在の平和教育で避けて触れていない「昭和天皇」に焦点を当てて考えてみること自体は意味のあることだと思いますし。この記事は戦争に対して興味の薄かった人、受動的な態度でしかいなかった人達に考えてみるきっかけを与えることができます。
元からそういうことを折に触れて考え、能動的に行動している人にとってはあまりいい記事だとは取れないと思いますが。この記事をそのまま鵜呑みにして終わるような人が1人でも少ないことを願いたいですね。

名無し
ゲスト
名無し

権力ねぇ……本当に昭和天皇が好き勝手に権力行使できたならそもそも戦争が起きないんですけど……天皇機関説とかご存じないのでしょうか?
度々二・二六事件について鎮圧したとか言ってますけど、それだけで天皇が権力を行使できたと見なすのは早計です。立憲君主は普段は政治に直接関与せず(閣僚に警告や質疑をするくらいしかできない)、一方で政治が大きく崩壊した際にそれを収拾する役割を持つ。二・二六の時は岡田内閣が崩壊したから自ら権力を行使しただけで、開戦時・戦中は閣内一致で内閣が開戦・継戦するって言ってるんだから天皇が入り込む余地はない。内閣が真っ二つに割れて初めて聖断が下せたわけ。
特攻の「よくやった」も考え方の違いでしょう?特攻隊の無駄死にと見なすことが大切とか書いてありますけど、昭和天皇は隊員達の功績を称えることで報いようとしたのでしょう。
三種の神器は、別にそれだけ考えていたわけじゃないでしょう。三種の神器「も」考えていたわけです。何がいけないのかわかりません。一考だにするなってことでしょうか?
降伏に関して、結果論で語っていませんか?無条件降伏が出されたのは二次大戦が初。日本が今後どうなるか全くわからないのだから、国体御持で主権や政治体制だけでも維持しようという面が合ったのではないでしょうか?
沖縄も、根本的な主権を日本に残したのは、偽装するためというよりかは返還を見据えてて、そのときの根拠とするためと見なすこともできるのではないでしょうか?

伊藤徹子
ゲスト
伊藤徹子

おっしゃる通りです。

伊藤徹子
ゲスト
伊藤徹子

全くその通りですね。しかしFBでは立憲君主制を説明するのに疲れます。特攻隊に対して言われたのは、天皇は「其処までしなければならなかったのか」とまず言われています。そして、「よくやった。」と言ったのです。特攻がどういうものかはそのとき知ったのだと思いますよ。昭和天皇がマッカーサーに異例にも自分から会いに言ったのは命乞いに行ったのではありません。そういう人はとても多いですが、自分の命を差し出す事で国民の生活が仕合せに成るのなら如何様にでもして欲しいと伝える為に行ったのです。何故それがいつの間にか命乞いをしに行ったという事に天皇悪玉論の人達の言い草は変ってしまってている。本当にお気の毒過ぎます。ただ昭和天皇は自分の代で国体の護持で出来なく成る事を大変危惧していた事は確かなようですね。代々の天皇に対して申し分けないという気持ちはもたれていたようです。久々に殆ど同じ思いを持った方にであってとても嬉しいです。よかったらFBでお友達になってください。

名無し
ゲスト
名無し

皇室を批判出来ない今のこの雰囲気は本当に怖い
こういう批判的な見方をした記事もあることが本当に大切だと思う

人以下
ゲスト
人以下

これからの時代好きな作品すら作れなくなるからね絶対に。芸術は右翼からも左翼からも潰されるね。

甕星亭主人
ゲスト
甕星亭主人

 基本的に凡庸愚鈍な科学ディレッタントだったんだよなあ。軍部のクーデター未遂に怯え上がり譲位強要の危険性に気付いてからは機関説寄りののニュートラルな立場を採ってるかの様に振る舞っては居たけど、三代目暗君らしい軽佻さは拭い切れず、万能の名君(恐らくは色狂いの明治帝の理想化を基底に)めかした振舞をしてたと推される。同類嫌悪も有ってかGHQの召喚で近衛がやっと自分のの立場を理解して自決しても軽蔑の言をを漏らしてるし、A級戦犯に至っては佞臣君側の奸と見做して、責めるのは自分の愚鈍さを認める事をを意味する程度の分別は有った物の、靖国合祀に際して激怒したと巷間取り沙汰されてるしね。

tpp賛成
ゲスト
tpp賛成

あ、おっしゃること納得です。
‘天皇の戦争責任’は、まず制度としての戦前の天皇制と、昭和天皇という’神?笑’の個人的資質の問題を区別する必要がありますね。
天皇に戦争開始、終結の最終的な責任があったのは、どう逆立ちしても否定できないですね。’元首’であり、陸海軍統帥なわけですから。’天皇機関説’とか言うけれど、東條英機も’総理’という機関の長だったけど戦争責任を負わされていますね。天皇機関だから、責任を免れる、という意味がわかりません。
ややこしかったのは、アメリカは戦争終結まもなくすでに、天皇制をやめて日本を民主国家にすることなんかより、冷戦で日本を反共防波堤にすることしか考えてなかった。まあ、アメリカにしたら、日本なんか弱っちい犬ころなので(今もその感覚でしょう)、利用できるか否かしかない。で、天皇は利用できる、となった。結果、憲法は第一条がわけわからなくなった。

日本人に欠けていて、いまだやっていないのは、
日本人にとって戦前の天皇制が、どんなメリットデメリットがあったか、コンセンサスを作ること。
その際には、’天皇機関’には、愚鈍な’人間'(!)もかかわりうる、という視点も忘れずに。

名無し
ゲスト
名無し

そういう時代に生まれて、そういう教育を受けたってだけだろう。戦国時代の武将をつかまえて、あいつは人を殺すのは何とも思わなかったどころか、敵の大将の首人検をしてたんだよ、人間のクズだろ、って言っているようなもの。時代背景が違うのに、全て今の感性に当てはめるのは間違っている。

maho
ゲスト
maho

つーか、徳川慶喜と同じかそれ以上の糞だわな

maho
ゲスト
maho

徳川慶喜と同じかそれ以上の糞だわな

nanasi
ゲスト
nanasi

天皇に問題があったのには大いに同意だが
最後の”写真を焼かれても仕方のない”は同意できん
どのような人物でもそんなことはされるべきではない

はしりみず
ゲスト
はしりみず

まず、立憲君主国って知ってる?
君主には警告権、激励権、非諮問権しか無い。
独断専横の戦国大名と勘違いされていては議論にならない。
で、クズだと罵るなら、
二・二六事件の顛末や開戦時の二度に渡る「四方の海」の話、敗戦時のマッカーサーへの直談判、ルメイに対して叙勲の拒否の件などの事をなぜ書かない?
かつ、
これらの批判をする者達が共産主義者や革新/進歩的文化人(今でいうリベラル)の者たちである事を言及しない?
さらに、
当時から現在に至るまで皇室の方々は反論どころか、意見を述べられる事無いことをわかっているのか?
抵抗しない者を好き勝手思いのままに罵る行為、これこそイジメであり、ヘイトというのものでしょう。

甕星亭主人
ゲスト
甕星亭主人

 敗戦前の政体が所謂立憲君主制って、何処の国の話? 現人神が所有する大日本帝国の事かな? 生神様の写真を拝ませ、配下の神社前は単なる通過で有っても頭を下げねば成ら無かった国がかって在りましたね。居住地をすら遙拝せねば成ら無かった時期も。天皇宗原理主義が貫徹せねばジハード宜しきたった一つの冴えた選択なる特攻も容易では無かったかと。

人以下
ゲスト
人以下

日本は立憲君主に近かったね。大正ロマンから考えるならそれが妥当だし、やはり変わったのは226事件以降。解釈の幅が狭すぎる。

伊藤徹子
ゲスト
伊藤徹子

おっしゃる通り。

山本七平
ゲスト
山本七平

‘まず〇〇って知ってる?’
←この言い方、もったいないです。中身がまともでも、愚鈍な感じがしちゃいます。

愛国者
ゲスト
愛国者

昭和天皇は岸信介を高く評価していたそうだが、
「戦争犯罪者でありながら訴追を免れ、アメリカの手下になることで保身をはかった」という点で、二人はそっくりだと思う。

売国奴同士の仲間意識があったのだろう。

ななし
ゲスト
ななし

片寄った見方をしている、全ての資料をよく調べてください
この時期この問題を出すのは、政治的目的を感じる
たぶん半島系か共産系だろう、昭和はもう二昔前の出来事で
現代の価値観で議論するとおかしな事になる

びーえす
ゲスト
びーえす

共産系でも、こんなひどいこと言わない。
海外の悪意のある人じゃないですか?
日本語わかる人なら、こんなバカな解釈しない。

くもり
ゲスト
くもり

僕は馬鹿で歴史の事が全く分からない人だから、このブログの内容が本当か嘘かは判断出来ないけど、前から天皇に対して思っていた事は、民主主義は天皇制がなくても機能するのに、なぜ悲惨な戦争の責任を感じているなら天皇自ら天皇制を廃止にしなかったんだろうって疑問。

ななし2
ゲスト
ななし2

わからなくてもいい。でも、当時の人の気持ちになってみて下さい。
なぜ廃止にしなかったのか?
私は、廃止にしたくても、できなかったんだと思う。
戦争はよくない。戦争を正当化するつもりもない。
ただ、国民を守る方法が戦争という選択肢しかなかったら?アメリカから石油止められて、世界恐慌の混乱の中で。
その、前提でもう一度文脈含めて読んでみたら、違う昭和天皇像が見えてくるかもしれません。
私の感想は、国民目線で、とても愛情深い方だなという印象です。

愛国者
ゲスト
愛国者

〉ただ、国民を守る方法が戦争という選択肢しかなかったら?アメリカから石油止められて、世界恐慌の混乱の中で。

違う。

国民ではなく、天皇制を守る手段が他にないと考えたから、
昭和天皇は戦争に反対しなかった。

開戦後、戦争を始めたことをすぐに後悔したと思う。

Polska
ゲスト
Polska

アメリカとの戦争には渋ってたんだけどもね。陸軍が日中戦争を半年どころか四カ年やるなりであんまり軍部を信用していなかった。

普通人
ゲスト
普通人

これも表現の自由ってことですかね。

Kuromechan
ゲスト
Kuromechan

いたずらに被害を大きく……って今の日本から見た結果論でしょ。
当時は日本という国、ひいてはアジア全体のアイデンティティが全て奪われてアメリカやヨーロッパの1属国になる可能性の方が大きかったんだから(現にアジア諸国はそうなっていた)。徹底抗戦してこその今がある。いつ講和するのが最善のタイミングだった、なんて分かるはずないし、原爆落とされる寸前に上手い具合に回避したとて「実は史上初の原爆が落とされる寸前だった──」はただの与太話として「東京大空襲を避けれた」「もう少し粘ればもっと良い条件になった」なんて言われたはず。

天皇にとって重要なのは日本人ではなく日本を守ることで、そのための行動として全て筋が通っている。おかげで、日本国はソ連より中華よりアメリカよりドイツよりフランスより長く続いている。感謝こそすれ恨みなど無い。

愛国者
ゲスト
愛国者

〉天皇にとって重要なのは日本人ではなく日本を守ることで、そのための行動として全て筋が通っている。

そのとおりだよ。
天皇の行動は日本(=天皇制)を守るということで首尾一貫している。
しかし、国民の立場からそれに感謝するというのは間違いだろ。

かなかな
ゲスト
かなかな

当時の日本人すべての人たちの感覚として、天皇制の維持=日本を護る、だったんだから、当時の感覚としてそれで首尾一貫してて問題ない。今の日本人の感覚で感謝するしないとか正解間違いとか言うことこそナンセンス。

かなかなかな
ゲスト
かなかなかな

勉強不足かただの炎上商法

あいうえお
ゲスト
あいうえお

これ間接的にアメリカディスってるように見えるけどそういうこと?

司馬宏
ゲスト
司馬宏

これ昔から共産党、左翼、韓国連中の史観、やり口やん

人以下
ゲスト
人以下

ほとんど自分の解釈で客観性にかける。ツイッターでお気持ちで賛否する極右極左やその他諸々のアホな奴等と変わらない。何何云々というのが解りますねと言うけどもね……

名無し
ゲスト
名無し

史料、文献の読み取り方が恣意的である。
都合のよい解釈ととらえられても仕方がない。
なぜ、どうして、背景に何があったかを考える、史料批判がまったくされていない。
この記事を鵜呑みにしないように。
真実に近づきたいなら、古川隆久「昭和天皇」(中公新書)をはじめの一歩として、自ら一次史料に触れるべきだろう。
最後は、自分で結論をつけるべきだろう。
インターネットの情報は、よく調べてから信用することを忘れないように。
まあ、天皇を批判することが許されないとするのはおかしいことには、個人的に同意するが…

名無し
ゲスト
名無し

ここで昭和天皇が戦争を主導したみたいなこと言ってるけど、戦前の日本は立憲君主制。伊藤博文も明治天皇に対し「政治に関与するな」という旨を奏上している。
大正以降は天皇機関説が誕生し政界の常識、憲法学の通説となっている。
また機関説とは違うけれど、昭和天皇の憲法の御進講係だった清水は、大臣の副書なしの勅令について「畏れ多くも違憲」と述べている。
さらに昭和天皇自身は東宮時代に訪欧し、ジョージ5世と触れあってイギリス型立憲君主政治を直接感じている。
確かに公民の教科書を見れば天皇主権だから絶対君主制のような印象を受けるけど、憲法4条には天皇が憲法に拘束されていることが書かれているし、解釈上も立憲君主制であった。
また昭和天皇のご発言を見ても、田中義一への叱責は明らかに軍部に向けられた怒りでもあるし、太平洋戦争開戦前には杉本を叱責している。日中戦争についても不拡大と和平を支持しているし、天皇機関説問題でも美濃部を支持した。
開戦直前の外交方針について「外交努力を一としその次に戦争準備をせよ」という旨を述べている。
さらに紀元二千六百年祭では、米国大使ジョセフ・グルーが平和について述べたさい、昭和天皇が頷いていたことがグルーの回想からわかる。
そもそもグルーは後に昭和天皇を穏健派(戦争反対派)と見なして、皇室廃止論が根強かった当時のアメリカで天皇擁護の演説を行っている。外交官の長老としてハル国務長官にも一目置かれていたのだから虚言とかで擁護していたわけではないだろう。
以上を考えれば戦前の日本は立憲君主制だし、昭和天皇は穏健派だと思うのですけど。

ごゆゆ
ゲスト
ごゆゆ

当時の価値観では〜と言ってるネトウヨは
それなら、黒人奴隷もインディアン迫害もアパルトヘイトもナチスも原爆を落としたのもその当時は正しい判断だと思われたんだが?

過去の誤った価値観による悲しい歴史を過去の誤った価値観で正当化するのになんの意味があんだよ

ごんべえ
ゲスト
ごんべえ

昭和天皇の人格はともかく、あの人も祀り上げられた装置でしかないわな。
天皇に戦争責任はあっても開戦を支持したのは当時の国民自身。
国民相互で監視しあったりもした。
一方的に被害者面は出来ん。

伊藤徹子
ゲスト
伊藤徹子

最近のいい加減な昭和天皇悪玉論にはうんざりだ。私は特別天皇フリーフリークでもなんでもない。しかし断片的な言葉をあげつらって昭和天皇悪玉論をでっち上げる昨今の書き込みにはうんざりだ。先の戦争で陸軍の暴走が気の弱い天皇の統帥権を利用してやりたい放題した結果が先の戦争だという事をもう一度よく勉強して欲しい。

釣本直紀
ゲスト
釣本直紀

>降伏しても

1文字目が太字にされていない。

1. 特攻隊は「よくやった」
これはおかしな発言ではない。命を懸けた作戦に殉じた兵士に対しては一言位褒めるべきだ。
神風特別攻撃隊が続いた原因はこの発言ではなく軍人の判断ミスだ。

2. 1945年2月に降伏拒絶→翌月に東京大空襲
これは判断ミスだが、未来を知っている人間の後出しジャンケンだからできる批判だ。
若しもう一度戦果を挙げてから降伏していたら名判断と讃えられていた筈。

3. 国民の命より三種の神器
三種の神器を意識していた事は確かだが、国民の命よりも優先していたという論拠が提示されていない。
大体三種の神器の保護は天皇が行うべき天皇にしかできない仕事なのだから、考えるのは当然。

6. 食糧不足で皇居デモ→「助け合って生きろ」
これは他に物の言いようが無い。昭和天皇に食料配給に関する権限が無く、人心を集めている立場である以上、精神論道徳論を述べるしか無い。

7. 戦争責任について
この手の話について、語りたくても自由には語れない立場だからその場しのぎでごまかす事は当然。
発言するとしたら何箇月も有識者と話し合った上で総論を語る事に成る筈。

10. 東京大空襲を指揮したカーチス・ルメイ少将に勲章を授与
昭和天皇に決定権が無いなら仕方ない。

11. 戦争責任を言われ「つらい」
つらいと感じる事は当然だし、個人的な身内に対する愚痴迄槍玉に挙げられては可哀想だ。
他にもっとつらい人がいるからと言って当人のつらさが楽に成る訳ではない。

12. まとめ
>これだけ戦争に深く関わっていたのだから、戦争責任を指摘されるのは当然のことである。

戦争継続や作戦について意見できた立場ではあったが、世界情勢と政治家の判断に引っ張り回された挙げ句、不慣れな軍事をやらされたに過ぎない。
他の政治家や軍人とは違って自分の意思で戦争に関与する職業を選んだ訳ではないのだから、名将であったとしても愚将であったとしても戦争責任の追及は理不尽だ。

4. 原爆投下後も国体護持できなければ戦争継続するつもりだった
5. 子供に「家は焼かれなかったの?」「はい、焼かれました」
8. 原爆投下はやむを得なかった
9. 沖縄をアメリカに差し出す
この4つは指摘の通り確かに酷い。