終戦時にソウルから引き揚げた人の手記がリアリティに満ちている

第二次世界大戦が終戦したときにソウルに残されていた家族が大変な思いをして帰国した引き揚げの手記がTwitterで公開され話題を呼んでいます。教科書には載らない市井の人々によるリアリティのある歴史に触発され、当時の社会や状況についてのツイートが相次ぎました。

公開された手記

今日、母が保管していた、祖母の手記のコピーをはじめて見た。 終戦時に京城(現在のソウル近郊)から引き揚げた当時の様子が綴られていた。


泥棒、強奪、恐喝があったこと、祖母の父は8/15明朝に38度線を越えて(おそらく)最終列車で京城に着いたこと、手作りのリュックサック(当時は帯や着物から母達が急ごしらえで布製リュックを作り詰めるだけ詰めて引き揚げた)を盗られたこと、7人組に押入られ日銀券を脅し取られたこと、


一時京城の天理教会に避難したこと、貨物列車にすし詰めで釜山まで辿り着き小学校で休んだこと、母や妹達共々お金を隠し持ち釜山港での検査を通り抜けたこと、 そこで見た朝陽が生涯はじめて見る美しさであったこと、太陽に向かって体操していた米兵にのどかな雰囲気を感じたこと、


トイレに産み落とされた赤ん坊が騒ぎになっていたこと、巡洋艦の上に張られたテントで休んだこと、甲板で「サラバ朝鮮又来る迄は…」と皆で歌ったこと、壱岐にさしかかり万歳斉唱したこと、その年に亡くなった赤子の妹にかけていた掛け布団で足の暖をとったこと、11月の末に博多港に着いたこと、


…等のことが、5枚足らずの紙に綺麗に清書されていた。 昔祖母がそれをコピーして生前の祖父や叔母達に配って本にしたいと語っていたが、皆で一笑に付してしまったんだそうだ。 祖母は、昨年から歩けなくなり施設でリハビリをしているが、今はもう同じことばかり話すようになった。


34、35…とページ番号が振ってあるが、他のページは無かった。 まだある祖父母が住んでいた家から残りの稿を探そうと母と話した。


少し調べただけでもたくさんの当時の手記が観られる。 祖母と同じく京城から引き揚げた女性の手記もすぐに見つかり、当時の状況がより細かくわかる。 本当に、何も知らなかった。 当時のことをネットや書籍で学ぶことにした。 まだ記録があり、容易に見られるうちに、と思う


祖母の父は終戦を知らないまま列車で北鮮から京城に着いたと書かれているが、読んでいて方便(知っていたかもしれない)かもと感じたし、その立場(鉱山主だったらしい)によって兵隊達の次に避難が間に合ったのかもと想像した。


ナチスドイツの脅威があった欧州方面が比較的統率がとれ優秀だったことに比べ、北に進駐したアジア方面のソ連軍は元来囚人だった部隊まであり質が悪く、その蛮行は筆舌に尽くし難かった程凄惨なものだったそうだ。 祖母の父が紙一重の差で終戦時北に残っていたなら、自分は存在していない。


旧日本軍も地域によって同等かソ連軍以上に残虐なことをアジアで行なった過去があったし、祖母の父だって他の民間人を事実上見殺しにして京城への列車に乗った筈だ。 でも、そうしていなければ祖母も母も今の自分もここに生きていない…。


日本統治時代に民族の言葉まで奪われた朝鮮人の人達が、終戦当時(少なくとも京城においては)苛烈な報復なくこれほど人間たる人々だったこと、そのおかげで祖母は一家で命あって博多港に辿り着いたこと… 本当に、すべて繋がっている。


対して、今の韓国への日本の対応(旭日旗の強硬な掲揚や慰安婦問題)や大阪SF市間で、悲を認めないどころか捏造だの他国も犯したと宣う歴史修正主義が、今戦争を手段として語る。 苛烈な、凄惨な体験をした日本人は確かにたくさん居たが、それ以上の苦しみを与えた日本人だってたくさんいた筈だ。


そういう意識がないから、 教科書程度の言葉の上だけの被害者意識ばかり持ち、中韓ばかり悪を見、日本の戦争犯罪を塗り替えてアジアを解放したといい、祖母の手記を一生に付し、今政治家までが歴史修正主義に陥り旭日旗や教育勅語を肯定し、それに何の危機感も感じ取れない社会になった。


誰かやどの国だけが悪だなんてことはあり得ない。 戦争そのものと、先人の凄惨な記憶を忘却する社会、その歴史の上に無自覚に立ち考えなくなった人々こそ悪だ。 叔母親戚達に悪意がないことは知ってるけど、そういう社会の空気自体が今の日本社会の戦争への想像力の欠如を育んだのだと思う。


語り継がれず実感を知らず、被害者の意識ばかり培養した世代の日本人達が、今の社会たる政治にも、今に繋がる歴史にも興味関心を失い、それを語ることを一笑に付す心性を持つに至った。 今からでも知ることができるはず、知り伝えていくべきだと、今日は思いをあらたにした。


思いがけず多くの方に読んで頂けたようで、祖母にも嬉しい報告ができます。 遅ればせながら、(私が知る範囲で恐縮ですが)ネット上からアクセスできる、先人の方達の証言や手記を載せておきますので、社会で皆で知り共有できればと思います。 (残りの稿が見つかれば、祖母の分も寄贈しようと思います)


平和祈念展示資料館HP ※元兵士、抑留体験者、引揚体験者それぞれの方の証言映像。サイドバーの「労苦体験手記」から、(祖母同様に遺された)多くの方の手記も読むことができます。


NHK 戦争証言アーカイブス … ※上部検索窓に「シベリア抑留」「満州」「京城」「(地名) 引揚」など入れて検索すると、各々の知己の方に近い環境、体験の証言から当時を伺い知ることが出来ます。

ネットの反応

すぐソウルへ着いたのは、よかったですね。私は満州奉天市で生まれ、終戦時4歳。ソ連軍の侵攻で酷い生活をしていたようです。近所の方が朝鮮経由で日本へ帰ろうとしたが、酷い目にあい、戻ってきたそうです。その凄まじさは、藤原てい(新田次郎の妻、国家の品格を書かれた藤原まる


藤原氏は息子)の「流れる星は生きている」に詳しいです。ご興味があれば…。 お祖母さまが運のいいほうだったことがお分かりになると思います。


ありがとうございます。38度線を超えてようやく 生きた気がしたと言っていました。 母は今も国への不信が根強く残っています。


お母様が外地にいらしたのは北朝鮮だったのですね。あの本を読むと、大変だったなと。 叔母さまやお従姉妹さんでしたか、ソ連や中国を悪く思われるのは、ある程度仕方ないかもしれませんね。 終戦と同時に中国人の暴動があり、ソ連軍の行動…大連は帰国も遅かったのでは。


読ませて頂きました。お祖母さまのお育ちになった環境の良さがにじみ出てくる文章でした。引き揚げとその後の生活の苦労も淡々と描くので、心に沁みてきます。昔の本ものの中流家庭の方々の知的な生き方も知る良い手記だと思います。 さまと近い年代?韓国映画クラシックを思い出しました。


私の祖母も、満州から家族でやっとの思いで逃げてきました 祖父はロシアに抑留され、幸いなことに数年後に帰って来られましたが、私には「ロシア人は信用するな」とずっと言ってましたね 祖父母とも他界し、あの時何があったのかを知ることは最早叶いませんが


満州から…関東軍による市民置き去りの引き揚げにより、京城から(私の祖母)などより更に苛烈な体験をされてる方が多く 道半ばの方も多いと聞きます。。 そんな中御二方とも生きて日本の地を踏めたこと、敬服します。


whitestockingsさんの祖父母様の経験は彼らのもの、最早聞くこと叶いませんが、抑留体験者のお話はこういったところで伺うことができます。 平和祈念展示資料館HP 抑留体験者の証言 NHK 戦争証言アーカイブス


NHKの方は、上部の検索窓に「抑留」「満州」など入れて検索すれば近い環境、体験を持つ方の証言に触れられます。 知るのは辛いことではありますが、ここから、自分や子の命に思いを馳せたり、家族友人と身に引き寄せて話し社会で共有することが、何よりの供養、そして次の世代に繋がると私は思います


貴重な証言の発掘、そしてシェアしてくださった事感謝します。 ただ、中韓に対しては日本は完全な加害者「悪」と言い切っていいと思います。現地人への加害は勿論 満州の開拓でアムール虎を絶滅させてしまいました。 敗戦後、外地の民間人が悲惨な目にあったのも 日本軍と政府の無作為ゆえかと。


貴重な手記が現存していて本当に良かったと思います。ウチも母方の祖母と母親が樺太からの引き揚げ者。祖母は多くを語らなかったけど「露助に見つからないように逃げた」とか「ロシアのパンは(ライ麦?)不味い」とかはよく聞いていました。戦争は絶対ダメですよね。


今は個人でも電子書籍で出版が簡単かつ自由に出来ますし、安価に数十冊単位でも本が作れる同人誌印刷屋さんもあります。残りの原稿が見つかったら是非おばあさまの希望叶えて差し上げて下さい。一笑にした方々の目の前にどやと突きつけて。(笑)


本当に読ませたい連中には読んでもらえないんですよネ😓 例え読んでも 「パヨクの捏造だ!」 そいつらの親族の遺品から出てきたらどんな反応をするンだろう?


終戦当日にソウルについていた、と言うのは物凄く早く動くことが出来たと思います。


おばあさまの手記が本として出版される事を望みます 私は文芸同人誌に携わっておりますが、年配の作家さんには今も反戦記録作品を書き続けておられる方がいらっしゃいます。質素な装丁であればさほど費用もかかりませんよ。本になれば、さぞおばあさまもお喜びになる事でしょう。


そうですよねー とても大事で大切な体験、記憶ですからね。 温故知新という言葉がある通り、過去の出来事をキチンと残しておかなければ、人は学んでいけないですから。 書物としては難しくとも、デジタルで残せればとも思います。


私の祖父母は終戦で天津から、わずかなお金と生まれたばかりの伯母を連れて引き揚げてきた。帰る船では大事な着物も供出させられたと聞いた。体が弱くて兵隊に行かなかった祖父が一緒でなければ、伯母は日本に戻れなかったし、私の母が生まれていたかどうかもわからない。みんな今に繋がっている歴史。


引揚の混乱を書き残していた人がいた。30年ほど前までは引揚の手記が出版されていて読むことができたんだけど。そういう記憶がふるい落とそうとしたのが80年代の日本。


後世に伝えるべき貴重な声。謝罪したからもう良いだろう、昔の悪事を忘れ無かった事にしようという人が居るがそんな事は無い。謝罪とは同じ過ちをしないよう、反省し忘れない様記録に残し語り継いて行く事だ。そんな事は嘘だ捏造だと国を代表する人間が言うのなら、全く反省も学習もしていないって事。

北朝鮮から引き揚げてきた人の手記

1年かけて北朝鮮から帰国した祖母と母と叔母の様子、祖母が記録していました。こういう人が一体どれくらいいるのか。逃亡生活の途中でこの人はもうダメだと捨て置かれそうになった祖母に母たちが追いすがって生き長らえた。母たちが諦めていたら、私もいまこの世にいませんでした。


母の下の妹は栄養失調で1歳で亡くなり、共同墓地に埋葬してきたという。自分が親になるまでその辛さの本当のところは理解していなかったんだよね…。総督府の種馬牧場の場長だった祖父は捕虜になってエラブカの収容所にいたらしい。


祖父が収容所から送ってきたはがきには細かい字で「これからは女性も勉強してよい時代だ」というようなことが書かれていた。そんな祖父が帰国できたのは1948年。帰国して10日後に死んでしまった。37歳だった。


亡くなるときに、母と叔母に「お母さんのいうことをきいて、しっかり勉強しなさい、さよならね」と言ったそうだ。祖母は祖父の実家で姑の面倒をみながら暮らし、 周囲の人たちに女に学問なんてと言われながらも、勉強したいと言った母たちを高校、大学に進学させた。


私たち孫にも「私は女学校まで行ったのに国に騙された。戦争は絶対だめ。戦争しそうになったら止めなきゃいけない。でも、勉強しないとそれがわからない」と言って、学ぶことをいつも応援してくれた。


祖母が遺した手記を高齢になった母が誰かに読んでもらいたいと思ったのも、今の日本への危機感から。実は私達姉妹は、母からは引き揚げ経験を聞いたことがなかったんだよね。それだけ辛かったのだと思う。


母は当時8歳だったけどその記憶は鮮明で、だからこそ話したくなかったんだろうな。戦後70年以上たって、母が祖母の記録に自分の記憶を書き綴って冊子にしようと思った気持ちを、引き受けて生きていかないとね。


で、それを我が子たちがまた引き継いでくれればいいな。

管理人のコメント

終戦直後の朝鮮半島や満州で起こっていたことは、官僚や軍幹部による一般人の見殺しだ。

彼らは一般の日本人に終戦を伝えずに、自分たちだけは助かりたい一心でとっとと日本へ帰ってしまったのだ。

それゆえ残された人々は、なんの支援も導きもない状態で日本への決死の帰還を挑まざるを得ない状況となった。

なぜ終戦後に軍人でもない一般人が母国へ帰るだけのことが「生きるか死ぬか」みたいな話になるのかと、諸外国が聞いたら不思議がるだろう。

こういう見殺しは、実際に人が死んでいないだけで、いまだに起こっている。

いわゆる「上級国民だけが知っている」「上級国民だけが得をする」ような社会システムは日本のいたるところにあって、一般国民が疲弊し、次々と屍となっているのが日本の現状ではないかと思う。

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近現代史

Posted by galapgs