「死にたいなら一人で死ね」を熱狂的に支持する日本人…日本社会は異質な人間を徹底排除する方向へ進む

川崎市登戸で発生した通り魔殺人事件をきっかけに、通り魔を生み出した日本社会のありかたが再び注目されています。家族、会社、地域コミュニティなどの共同体が崩壊した現代の日本では、「死にたいなら一人で死ね」が圧倒的な支持率を誇ります。社会に恨みを持ち、誰でもいいから殺してしまえという通り魔をどうやって防ぐのかという問題について、様々なツイートをまとめ、考察してみました。

2019年5月28日、川崎市登戸で発生した通り魔殺人事件がネット世論を二分しています。

ひとつは立川志らくの「死にたいなら一人で死ね」に代表される新自由主義的立場からの意見。

死にたいなら1人で死んでくれよって。本当にそういう人は。なんで子どもの弱いそういうこところに飛び込んでくるんだ。信じられないですね
出典:https://www.j-cast.com/2019/05/28358527.html

これは、社会に恨みを持ってしまったのは「自己責任」だから他者を巻き込まないでねという自己責任論の一種です。

もうひとつは、この「死にたいなら一人で死ね」へのカウンターとして、「死にたいなら一人で死ぬべき」という非難は控えてほしいというリベラル的な立場からの意見です。

社会はあなたを大事にしているし、何かができるかもしれない。社会はあなたの命を軽視していないし、死んでほしいと思っている人間など1人もいない、という強いメッセージを発していくべき時
出典:https://news.yahoo.co.jp/byline/fujitatakanori/20190528-00127666/

これは、社会からの疎外感が通り魔予備軍を増殖させ、「死にたいなら一人で死ね」はそれをさらに助長してしまうから言わないでほしい。予備軍を社会で包摂することによって凶行をなくしていこうというものです。

しかし、TwitterなどのSNSでは、「死にたいなら一人で死ね」派が圧倒的に多く、日本社会は今後、通り魔的な属性を持った人間を徹底排除していくことが懸念されます。

この記事では「死にたいなら一人で死ね」への意見と、日本社会の通り魔対策についてまとめてみました。


スポンサーリンク

「死にたいなら一人で死ね」と言った立川志らく

学校に行こうとしていた子供の命を奪った悪魔に対し、子供を巻き込むな!ひとりで死んでくれ!の言葉は普通の人間の感情だ。この怒りをどこにぶつければいい!この言葉が次の悪魔を産むから言うな?被害者の前で言えるのか。何故悪魔の立場になって考えないといけないんだ?でもそれが真実なら謝ります

私が教育者だったり心理学者だったり政治家だったらこんな発言は駄目だと思う。でも落語家だ。人情の機微を表現する事が仕事。被害にあったお子さんその親御さんの心情を察するとどうしたってあの悪魔に、これから悪魔になろうとしている奴はにそう言いたい。でも本当に悪魔を産む言葉ならもう言わない

川崎殺傷事件「死にたいなら一人で死ぬべき」という非難は控えてほしい(藤田孝典) - Y!ニュース


でも日本中の幼い子供を持っている、愛している親のほとんどは、死にたいならひとりで死ぬべきとおもっています。その気持ちをその怒りをぶつける事が悪い事なのか。ましてや非難されるべきなのか。本当に悪魔を生みだす言葉だとしたら二度と言いませんが。

芝居の公演中、ましてや初日が終わって良い気分だったが、こと子供の話だからどうしても言っておきたかった。頼むから、もう二度とこんな事件、起きないでください。


「死にたいなら一人で死ね」への反論

川崎殺傷事件「死にたいなら一人で死ぬべき」という非難は控えてほしい(藤田孝典) 社会はあなたを大事にしているし何かができるかもしれない。社会はあなたの命を軽視していないし、死んでほしいと思っている人間など1人もいない、というメッセージを発していくべき。

遺族が強い言葉で非難することは当然でしょう。しかし社会的影響力がある人物であれば、怒りを表現する前に一呼吸おいて、その言葉の持つ暴力性や社会への影響力を一考してほしいと切に願う。なぜ「殺すな!生きろ!」と言えず「一人で死ね」という。社会を破壊する者をこれ以上増やさないでほしい。

「死にたいなら一人で死ね」というメッセージの発信に注意を促した人は、殺人犯を擁護したのではない。 「死にたいなら一人で死ね」というその言葉が、不安定な感情をかかえた人々への呪いの言葉になることを憂慮したから、彼はそれを言ったのだ。どうしてこの程度のことが読み取れないのだろうか。

希死念慮を抱いていながらギリギリのところでなんとか生きながらえている人間は、それこそ何十万人もいる。そういう人々にとって「死にたいなら一人で死ね」というメッセージは、本当に破滅的なスイッチになり得る。強くいましめなければならない。当然だ。

「死にたいなら一人で死ね」って言ってる人たちに対して、自殺に関する報道が出るたびに「よかったですね。あなたの望み通りまた今日も一人で死んだ人がいましたよ」ってリプライ送ったら何回目ぐらいでブロックされるかね。

犯罪により家族を喪った私、犯罪を憎む気持ちは人一倍だからこそ、怒りに任せて「死にたいなら一人で死ね!」という言葉は「いかなる理由があろうとも暴力も殺人も許されない」という理念を裏切ってしまう、と感じます。暴力や憎悪を助長させることなく、子供たちを守っていく責任を自覚したいです。

「死にたいなら独りで死ね!」って職場の同僚も言ったのです 無差別殺人は絶対ダメだけど、犯人も孤独で追い詰められたのだろうなと 思うと、「死にたいなら独りで死ね!」はあまりに冷たいな、それは ないな、と思った そういう社会の冷たさがこうした悲劇な事件を生むのです

加害者をサンドバッグがわりにして好き放題言い放ってばかりでは、断絶を生んで新たな事件の呼び水になる。 川崎殺傷事件「死にたいなら一人で死ぬべき」という非難は控えてほしい(藤田孝典) - Y!ニュース

通り魔事件のニュースに対して「一人で死ね」と無関係な人たちが連呼しているのを、社会を恨む人が見たときに「はいわかりました。一人で死にます」となる確率と「うるせえ、殺せるだけ殺す」となる確率、後者が高いとぼくは考えるので、加害者を叩いてストレス発散するのはハイリスクだと考えます。

「人間は原則として、自分が大事にされていなければ、他者を大事に思いやることはできない。社会全体でこれ以上、凶行が繰り返されないように、他者への言葉の発信や想いの伝え方に注意をいただきたい。」犯人に対する怒りは分かるけれど、藤田さんの言う通りだと思う。

データの取得に失敗しました。ツイートIDまたはAPI接続用アカウント情報を再度確認して下さい。

「死にたいならひとりで死ね!」と言われた凶悪犯が「そっか……ひとりで死にます……」と思ってひとりで死ぬ確率、追いかけられて「待てー!」と言われた泥棒が、「そっか……待つべきだな……」と思って待ってくれる確率と同じくらいだろうな。

ほんとに理不尽な事件だからこそ、〈社会はあなたの命を軽視していないし、死んでほしいと思っている人間など1人もいない、という強いメッセージを発していくべき時〉と。 →川崎殺傷事件「死にたいなら一人で死ぬべき」という非難は控えてほしい(藤田孝典) - Y!ニュース

そもそも普通に「殺すな!死ぬな!」というべきなんよね。「死にたいなら一人で死ぬべき」なんて言葉は憎しみか絶望しか生まない。

ああ、そうそう。 「死にたいなら一人で死ね」って言葉が氾濫すると、次の凶行以上に「一人で死ぬ人」を生み出しかねないんですよ。 なんだかんだで、人巻き添えにして死ぬより大人しく一人で死ぬ人のほうが圧倒的に多いのは皆様ご存じのとおり。 で、一人で死にたくなっている人にぶっ刺さるわけです

登戸の通り魔事件の件、 「死にたいなら一人で死ね」 と言いたい気持ちもあるが、今後の社会のことを考えると 「死にたいぐらい辛いなら、人や自分を傷つける前に『助けてくれ』と声をあげてくれ」 と言いたい。

データの取得に失敗しました。ツイートIDまたはAPI接続用アカウント情報を再度確認して下さい。

「何かを思う」ことと、「思った何かを口に出して言う」ことは、全く異なる現象です。つまり「死ぬなら一人で死ね」と思ったとして、それを自分の考えとして留めておくのと、それをSNSで発信するのとでは、その後の随伴性の有り様があまりにも違うわけです。

「死にたいなら誰にも迷惑かけないように一人で死ね」というのは、死にたいと思う人の多くがすでに「自分は社会の迷惑になっている」と思っているからこそ死を選ぼうとすることを失念してる。そして最後に「どうせ迷惑なら、最後に巻き添えにしてやる」を選んだ人に「一人で死ね」は全くの無意味だよ。

データの取得に失敗しました。ツイートIDまたはAPI接続用アカウント情報を再度確認して下さい。

昔自分も「無敵の人」状態だった時期があるので、なぜこういう人が一人で死なず周りを巻き込むのか、の理由がとても分かるんですけど「「一人一人に価値がある」と謳いながら自分一人死んでも全く無関心であろう社会」への怒り、ある種の「社会にネグレクトされている」ことへの怒りなんですよね

自分が死んだ時に悲しむ人がいるだろうか、滞る事があるだろうかと考えた時、何かの理由で社会の包摂から外れた人は「自分の死すらこの社会では限りなく軽い」と悟ってせめて死に重みを与えるため社会(に適合する人)を道連れにしたくなる。だから「一人で死ね」は怒りを加速させるだけで逆効果なんです

「無敵の人」は社会のコミュニティが崩壊しつつある証拠だから本当は皆に関わることなんですよ。 ただ強調したいけど弱い人を選んで傷つけられる時点で「健康な体があり既にある程度の人より優位にいる」証拠なので。暴発を選べる恵まれた立場での甘い絶望なんて理由にも情状酌量にもなり得ないからな

平たく言うと「死にたいなら一人で死ぬべき」って当たり判定がデカい言葉なんですよ。今回の加害者を非難したつもりが、今後加害者になりうるかもしれない、今しんどい誰かにもぶっ刺さる。それこそこの加害者のごとく巻き添えにしてますね


「死にたいなら一人で死ね」を支持する意見(反論への反論)

言わんとしてることはわかるけど、「死にたいなら一人で死ね」という声はすでに人を殺して自殺した犯人への言葉。罪を犯してない「困っている人・つらい目にあっている人」への言葉じゃないし、「孤独死しろ」とか言ってるわけでもない。「他人を殺すな」って当然の話だし。

すでに事件を起こした人に「他人を巻き込むな」と言うと、なぜまだ事件を起こしていない人を凶行に走らせることになるのか謎。藤田氏の意見が間違っているのか、飽くまで記事の中での説明が不足してるだけなのか、どちらかわからないけど。

確かに詳細不明の段階での犯人非難の大合唱はリンチめいていて気持ち悪い。でも同様に、多くの人が犯人に「辛かったら手を差し伸べるよ!」「あなたに死んでほしくないよ!」って大合唱したら、それもキモいよね。むしろ「キモい偽善者の社会死ね」と考える人が出てきても不思議じゃないくらいキモい。

「死にたいなら一人で死ね」の文字を読んで自殺を考え実行するほど不安定な心理状態な人に配慮して、自分の考えを発信する人に対してウダウダとお気持ち察した程度の正義感を振りかざすの、くっそダサすぎて笑うしかないわね。この世はその程度で自殺する弱者に席はないのよ。死にたきゃ死ね。

データの取得に失敗しました。ツイートIDまたはAPI接続用アカウント情報を再度確認して下さい。

また藤田孝典か。犯人にまつわる背景も不明な今、やるべきは被害者に対する哀悼の意表明だけだろ。お前がやってる「弱者救済」商売に繋がることを憶測で即座に書く神経を軽蔑する→川崎殺傷事件「死にたいなら一人で死ぬべき」という非難は控えてほしい(藤田孝典)

この人の意見に私は絶対反対です。「死にたいのなら一人で死ぬべき」は正論です。かけがえのない女児と男性の命を奪う事はいかなる理屈でも正当化できない。あと文章が短すぎ。→川崎殺傷事件「死にたいなら一人で死ぬべき」という非難は控えてほしい(藤田孝典) - Y!ニュース

藤田孝典さんという、ZOZO叩きとか月に行くなら給料上げろ等のバカな発言で滑ってた人が、今回は通り魔事件で頓珍漢な記事を書いて炎上してます。犯人に対して死ぬなら一人で死ねは間違いと。意見は人それぞれで良いんですが、明らかに犯罪者側に寄り添う意味不明な内容で大ひんしゅくです。


今後の日本社会はもっと息苦しくなる

「通り魔は防げない」と言うのはその通りだが、日本社会は、「通り魔事件を起こすような精神状態に陥ることを防ぐため、福祉を充実しよう」ではなく、「通り魔事件を起こしそうな感じの人間を未然に特定し、事件を起こす前に社会から取り除こう」という方向に進みやすく、実際進んでると思う

この犯人がどうかはわかりませんが、これから40代は社会に捨てられ、家族も貯金も仕事もなく、明日が見えないまま精神疾患におちいる人が増えそうです。その世代が安い賃金で労働してたから販売とか様々な職が支えられていたのに、犠牲にした世代が「ちゃんと働かないから~」石投げてますからね…。

そう考えるとPSYCHO-PASSっていうアニメの世界がすぐそこまで来ている感じですね

未然に特定するためには情報監視がますます激化し、個々の警戒心も高まり、恐らく“犯罪を犯しそうな雰囲気”が少しでも見える人はどんどん孤立が深まる。個々の警戒心は仕方ないにしても、原因を犯人だけに収斂させた監視と厳罰化だけでは、暴発的な犯罪は増えるばかりだと思う。根治には進まない。

この間TVでやっていた福岡県の建設会社の話ですが、この会社は日本一受刑者の受け入れ先要望が多い会社です。 社長は寮を用意したり、毎日の夕飯なども用意して福利厚生もしっかりなさってました 元受刑者の社員の中には八年努めている人もいますが、それでも再犯を犯す人もいます。

中には社長宅に泥棒に入った社員もいました。 世の中にはどんなにこちらが手厚く保護しても犯罪を犯す人が一定数います。 福利厚生をしっかりして追い詰められてる人から犯罪に犯さないようにするのも大事ですが、事前に抑止することも大事だと考えます

宗教的争いがなく、民族間の争いも起きにくい日本で人はなぜテロとも言える無差別犯罪を起こすのか。日本が個人の尊厳より、マジョリティや集団の論理を優先するからではないかな。はじき出された人間は、同じ背景を持つ同胞さえ見つけ出せず、1人放り出されるからではないかな、と思いました。

データの取得に失敗しました。ツイートIDまたはAPI接続用アカウント情報を再度確認して下さい。

「通り魔は世界的な現象である」という前提の上で、それでも世界的に見て日本社会は「福祉の充実」ではなく「(主観的に見て)『犯罪者予備軍』に見える人を排除する方向に進んでいる」なのでこの場合に関しては十分に正確な言い回しかと 140字に収めるには伝わりそうな前提を削るしかないですから…

…マイノリティ・リポート感がすごいですね

それを利用して、政権の気に入らない人物、団体を監視し社会的に抹殺する仕組み作りに余念がない 共謀罪、ケーサツによる盗聴、監視カメラ…

自己責任論も強い お前が弱いからだろ、知らん!ってね それで孤立して…というケースも多いのかな やっぱり社会全体が明るく精神的にもゆとりがないと、他人に手を差しのべよう、ともならない気がする 戦闘機何機も買い込んでる場合じゃないのでは

PSYCHO-PASSのシビュラシステムが思いっきりそれ(後者)でしたね。

切り捨てても、切り捨てても、根本が腐っているままだから、あとから、あとから沸いてくる。 前提条件となる、事件の原因や背景を見誤って対策してしまうと、不幸な人間を増やすだけだろう。

ほんとうにそうだと思う。根本的な対処をしないといけない。日本のこの息苦しさはなんだろう。犯人はどうしてあそこまで追い込まれたのだろう。鈍感な人間しか生き残れない社会でいいのかな。

それは明らかに不正義だと思うが、経済合理性がある可能性も高い。その場合、支配・統治する側の考えがそちら(「通り魔事件を起こしそうな感じの人間を未然に特定し、事件を起こす前に社会から取り除こう」という方向)に傾くだろうことは想像に難くない。コレたぶん、ナチス・ドイツ とかに似てる。

しかもその「未然に特定」される「事件を起こしそうな人間」というのも 一部マスコミや自称マジョリティによる一方的な決めつけでしかないという…

福祉の充実がもちろん正しい思想なんだろうけど、終身雇用も年金も破綻しまーすって言って財源足らないので消費税も上げまーすって言ってる中で、福祉を充実させて不幸な人を減らそう!ってのが実現できないとみんな(私も)考えてるんじゃないかなぁ。結果、金ある人が金を使って身を守る方向になる。

うわーこれ悩むな。確かに直感的には後者なんだよ。前者は綺麗事に過ぎないんじゃないかって…でも後者は社会全体に暗い影を落とす結果になりそうで…

それで防げればいいが、その異端排除の動きが、さらにストレス社会を招き、予備軍を増やしているのが現状だと思う。

ラベリング理論などが教える通り、社会からの排除が犯罪を誘発し得ることに異論はないが、それを福祉に結び付けるのは無理筋であるし、防犯対策のルールとも切り離さなければならない。精神状態どうこうと実際的な危険性は別の問題だし、そもそも通り魔事件を起こすような精神状態なんて定義できない。

人間にも動物にもウェルフェアという発想が馴染まない国なんだなあとつくづく思う

これに対するスレッドで、後者の文脈として『 PSYCHO-PASS 』を連想している人が結構多くて、それ自体はまったくもって同意なのだが。 よりにもよってシビュラシステムやドミネーターの導入を歓迎するような意見が散見されて、「お前ホントにアニメ観たのかよ」感がヤバい。カガリくん怒るでホンマ。

これはしかたないやろね。長期で財源その他から困難な福祉の充実は長期目標であり、短期に効果のでる危ないやつ監視と「どっちか一方を選ぶわけではない」という話し。両方必要。長期はなかなか実現しないからとりあえずなんかやるしかない。ってことだろうね。

弱者救済のはずのセーフティネットを「ずるい」と批判する、全てを自己責任に擦り付けるの大好きな人が多いからねえ。 アレは弱い立場の人を救うだけでなく幸せそうな人を逆恨みして頭カチ割りに来る不公平感持ってる奴から自分等を守るための安全保障経費でもあるのにね。

そしてそれは間違った方向だと思う。日本はしかし、そう行った、間違った方向にものすごい勢いで傾きやすい気がする。

福祉国家の模範たるノルウェーやフィンランドでも無差別殺人事件が発生しているんだから、手厚い福祉でも通り魔を防ぐことなんてできないんだよ。 なぜなら、福祉では人生に絶望した人たちを救えないから。実際、北欧には鬱病患者が少なくない。

日本が後進国の特徴である排除社会だから。誰をも排除せず、問題人物は公的な支援でバックアップし、立ち直れるように社会が援助していく。これが欧米や韓国など先進国の常識です。が、日本では困難を抱え問題を起こしそうな人物を排除し、社会から締め出す予防拘禁が一般的。国民も当然と考えている。

包摂ではなく、排除を選択する傾向なのは村八分的気質ですかね。 あとは財政的な問題と福祉制度の複雑さゆえの包摂の機会の少なさが要因なのか。 共同体が崩壊しつつある現代で、ある種の同質性を求める「共同体」ができている逆接が起きている怖さ。

なんにつけ「自分は普通」というポジに置こうとする心理、特別強い気がするんだよなー 変な人とか特異な人とかをガッチリとダメ枠に入れて差別化したい感じ、心理的にも社会的にも。

通り魔ってだいたいおっさんなので、おっさんは前もって死刑にしとくのかな?

これに付け加えると排除志向の人は安全で平和で豊かな日本というファンタジーの偽装が露呈したことに怒ってるのであって被害者云々は関係が無いんやわ 問題解決をせず暴力で揉み消すことに腐心するのも現実に向き合うのが怖いから💀

義憤に駆られている人に「その義憤が社会を悪くするんだ!」と真正面に反論しても相手はますます感情を先鋭化させるだけで、それより「まあ飯でも食えや」とかやって落ち着かせるのがリアルでは有効なんだが、ネットではそれも難しい


まとめ

かつて「自己責任」を熱狂的に支持した日本人には、「死にたいなら一人で死ね」はとても理解しやすいでしょう。

しかし、多くの人が指摘している通り、社会への恨みに満ちた通り魔に「死にたいなら一人で死ね」と言って、「わかりました」となる可能性は低いように思います。

日本社会が通り魔対策を大義名分に、監視社会となり、異質な人間を「犯罪者予備軍」として排除する。これはありうる話だと思います。

それに対して、福祉を充実させて社会ですべての人を社会で包摂しよう…という方向は、ほとんどの日本人は賛成しないでしょう。

まず、「俺の税金をこんなクズどものために使うな」という声が殺到するはずです。そもそも「無敵の人」を未然に防いだかどうかは検証しようがないし、いなくて当たり前なので、福祉の充実による通り魔対策は短期的な手柄を求める官僚社会の日本にはなじみません。

多様性を認める社会、弱者を包摂する社会を実現するには、ある程度の民度が必要で、日本人には荷が重いのが現実です。

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で

日本人の国民性

Posted by galapgs