昭和天皇のクズ発言・クズ行動一覧

昭和天皇がいかにクズ人間であったかがわかるエピソードをまとめています。太平洋戦争中・後を通じて国民の命をなんとも思っていない本音がわかるクズ行動、戦争責任をまるで感じていないクズ発言を一覧表記しました。

あいちトリエンナーレ2019における「表現の不自由展」で、昭和天皇の写真がガスバーナーで焼かれる作品が出展され、昭和天皇に再び注目が集まっています。

昭和天皇は大日本帝国の元首、そして日本国の象徴として、2つの時代を生きた天皇です。大日本帝国時代は「神」として崇拝の対象にもなっており、その影響は戦後にも残りました。現在も皇室への過度の批判はためらわれる、ある種のタブーが存在することは否定できません。

しかし、戦争に最高責任者として関わったからには、歴史の審判を受け、正しく批評されなければいけません。

戦後の「太平洋戦争の原因は軍部の暴走」などといった通説が嘘であったこと、そして昭和天皇が日本に生きた人々にとっていかに有害であったかが正しく伝えられなくてはいけません。この記事では、昭和天皇のクズ発言、クズ行動を一覧化し、彼がどのような人格の人間であったかがわかるようにまとめています。


スポンサーリンク

特攻隊は「よくやった」

いわゆる特攻隊、神風特別攻撃隊は大西瀧治郎中将の命令によって1944年10月20日に編成された、戦死前提の体当たり攻撃です。

当初、大西中将は特別攻撃を1回のみで終わらせ、昭和天皇が終戦を決断することを期待していましたが、昭和天皇から褒められてしまったため、続けざるを得なくなりました。

つまり、昭和天皇は戦局が悪化しているにも関わらず、終戦にしようなどとは少しも考えていなかったことになります。大西中将は特攻を続けざるを得なくなったため、この後、多くの若者が命を落とします。

10月26日、及川軍令部総長が神風特攻隊の戦果を奏上し、昭和天皇(大元帥)から 、「そのようにまでせねばならなかったか。しかしよくやった。」と御嘉賞のお言葉を賜った。また、10月30日には米内海軍大臣に、「かくまでせねばならぬとは、まことに遺憾である。神風特別攻撃隊はよくやった。隊員諸氏には哀惜の情にたえぬ。」と仰せられた
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5%E6%94%BB%E6%92%83%E9%9A%8A

戦争はついに日本軍の作戦遂行能力の限界点を超え、統帥部の最低限の理性すら崩壊させたのである。天皇による「よくやった」という発言は、前線部隊にも伝えられ、さらなる特攻作戦を強行させる重要な要因の一つとなった。
出典:https://sabasaba13.exblog.jp/5413600/

昭和天皇は神風特攻隊について「よくやった」と述べたらしい。もしあの戦争勝っていたら東南アジア諸国を次から次と植民地にいていったかもしれない。昭和天皇の戦争責任は重い。

1944年末のフィリピン沖での特攻による空母撃沈の報に触れ、ヒロヒト天皇は「そこまでやらねばならないのか」とお嘆きになったがあとの一言が余計であった。「でもよくやった」。これで陸海軍は引っ込みがつかなくなったと思っている。「特攻の死を無駄と認める事が特攻の死を無駄にしない唯一の方法」


1945年2月に降伏拒絶→翌月に東京大空襲

太平洋戦争の戦局が絶望的となった1945年2月、近衛文麿元首相が昭和天皇に終戦を決断するよう促した「近衛上奏文」を出すも、昭和天皇は敗戦を受け入れると国体が護持されないことに懸念を示し、「もう一度、戦果を挙げてからでないと」と却下しました。

天皇「我が国体について、近衛の考えと異なり、軍部では米国は日本の国体変革までも考えていると観測しているようである。その点はどう思うか。」
近衛「軍部は国民の戦意を昂揚させる為に、強く表現しているもので、グルー次官らの本心は左に非ずと信じます。(略)」
天皇「もう一度、戦果を挙げてからでないとなかなか話は難しいと思う。」
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E8%A1%9B%E4%B8%8A%E5%A5%8F%E6%96%87

近衛上奏文を出したときの昭和天皇と近衛文麿のやりとり。絶望的な戦局においてもなお、国民の生命より国体護持(天皇制維持)を第一に考えていたことがわかります。

いわゆる一撃講和論。相手に一撃を食らわせればより有利な条件で講和条約を結べるという考えを昭和天皇がこの期に及んで持っていたことになります。

なお、この近衛上奏文の約1ヶ月後、3月には一撃どころか、東京大空襲で多数の戦死者が出ました。その後、沖縄戦、原爆投下となり、兵士のみならず民間人の死者を爆発的に増やしました。

データの取得に失敗しました。ツイートIDまたはAPI接続用アカウント情報を再度確認して下さい。 データの取得に失敗しました。ツイートIDまたはAPI接続用アカウント情報を再度確認して下さい。

▼それでも あなたは本当に日本人ですか (@∀@) 昭和天皇が近衛上奏文に「もう一度、戦果を挙げてからでないとなかなか話は難しいと思う」などといわなければ 早く戦争をやめていれば 名古屋大空襲はありませんでした。 天皇制が日本を危機に陥れたのです。


国民の命より三種の神器

日本は、ソ連を通じての和平交渉に望みを託す傍ら、本土決戦も覚悟せざるをえなくなった。
天皇がここで心配したのは、三種の神器のことだった。
出典:https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58837?page=4

7月31日に木戸幸一内大臣にこう語った。「先日、内大臣の話た伊勢大神宮のことは誠に重大なことと思ひ、種々考へて居たが、伊勢と熱田の神器は結局自分の身近に御移して御守りするのが一番よいと思ふ。[中略]万一の場合には自分が御守りして運命を共にする外ないと思ふ」(『木戸幸一日記』)
出典:https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58837?page=4

本土決戦かという状況で三種の神器もクソもないだろうっていう。もう負けるに決まってるんだから。三種の神器よりも国民の生命を守ろうとしてくださいよ。

原武史『昭和天皇』読了。「お濠の内側」で「祈る」裕仁に着目している。「天皇が最後まで固執したのは、…『三種の神器』を死守することであって、国民の生命を救うことは二の次であった。」 原氏が天皇や天皇制の研究に向かうきっかけも知れて良かった。

裕仁が三種の神器に拘ったのは有名な話だ。それを奪われない為に終戦を決意したという説もある。天皇が拘ったのは神器によって皇祖の霊力を授けられるからだ。 「何故攻撃に出ぬか…」太平洋戦争下の昭和天皇「お言葉」の数々 現代ビジネス

元寇(近年はそう呼ばないらしいが)の侵略から領土を守ったのは鎌倉幕府らの武士団。その時天皇は祈っていただけ。敗戦間際の大平洋戦争では昭和天皇は三種の神器の事で頭がいっぱいだった。陸軍と海軍は纏まるどころか対立していた。


原爆投下後も国体護持できなければ戦争継続するつもりだった

「十二日、皇族の参集を求め私の意見を述べて大体賛成を得たが、最も強硬論者である朝香宮が、講和は賛成だが、国体護持が出来なければ、戦争を継続するか[と]質問したから、私は勿論だと答へた」
出典:https://gendai.ismedia.jp/articles/-/52568?page=4

ポツダム宣言受諾直前の1945年8月12日、皇室を集めた会で昭和天皇はポツダム宣言受諾の決意とその理由を語りました。

「昭和天皇独白録」には、この会で朝香宮鳩彦王に「国体を護持できなければ戦争を継続するのか?」と聞かれ、「もちろんだ」と回答していることが記されています。

つまりこのとき降伏しても天皇制は維持されることを確信していたと同時に、維持されないならさらに犠牲者を増やして戦争を継続するつもりだったことがわかります。

1945年8月12日15:20 御文庫附属室で皇族会議が始まる。天皇に梨本宮守正王が、在京皇族5家13人を代表して終戦の決断を支持すると表明する。一方で朝香宮鳩彦王は「国体を護持できなければ戦争を継続するつもりか」と質問し、天皇は「もちろんである」と返答する 芙蓉録

いや、普通に天皇は中国大陸の進出に事後承認出してるし、226の時は陣頭指揮を執って部隊を鎮圧してるから「天皇には権限はなかった」的な言い訳も成り立たないし、しかも後半は「国体が守られなければ戦争を継続する」と朝香宮にはっきり言ってるし、戦争継続に固執してるのも事実。全て事実だろ。


子供に「家は焼かれなかったの?」「はい、焼かれました」

戦後昭和天皇が慰問先で被災した子供に話しかけてる映像を見た夫が一言「狂ってる」と。 天皇「家は焼かれなかったの?」 子供「はい、焼かれました」 天皇「えっ?本は大丈夫でしたか?よく勉強しなさいね」 日本にはまだタブーが存在する。

昭和天皇が子供に話しかけるシーン、「家も焼かれました」の後の、 「両親も死にました」 「あ、そう。教科書も焼けたの?よく勉強しなさいね」 という浮世離れしたやりとりはカットされてたね

終戦後の全国巡幸の一幕に、少年に対して「家は焼かれなかったの?」と聞く場面があります。「はい、焼かれました」という返答に、なんと昭和天皇は「本は大丈夫でしたか?」と意味不明の質問をしています。

家が焼かれたら普通は本も焼かれるものです。なにより、家が焼かれた少年に対してねぎらいも謝罪もないところにサイコパス的な怖さを感じます。

ちなみにこのとき少年は「両親も死にました」とも言っているそうです。

食糧不足で皇居デモ→「助け合って生きろ」

1946年5月19日、食料メーデー(正式には「飯米獲得人民大会」が行われた。人民広場(皇居前広場)に25万人が集まった。この集会には教師に引率された小学生も多く参加し、給食復活などを訴えた。
出典:https://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/ec01a615ce943538e7fc644bc42d5363

デモ行進中の一人である日本共産党員・松島松太郎が掲げたプラカードの一つの表には、「詔書(ヒロヒト曰ク)国体はゴジされたぞ 朕はタラフク食ってるぞ ナンジ人民飢えて死ね ギョメイギョジ」と、その裏には「働いても働いても何故私達は飢えねばならぬか天皇ヒロヒトよ答えてくれ 日本共産党田中精機細胞」と書かれていた。
出典:https://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/ec01a615ce943538e7fc644bc42d5363

このプラカードに対して当時まだ有効であった刑法の不敬罪が適用され起訴された。しかし、不敬罪は新憲法で廃止されることになっていたので激しい論争を呼んだ。
出典:https://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/ec01a615ce943538e7fc644bc42d5363

このプラカードで批判された天皇は、5月24日、終戦時以来再びNHKのラジオのマイクの前に立ち「相扶(たすけ)食糧難克服を」「家族国家のうるわしい伝統に生き、難局克服を期待する」などと国民に訴えかける言葉を述べられた。(敗戦時以来2度目の玉音放送)。
出典:https://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/ec01a615ce943538e7fc644bc42d5363

1946年5月に、あまりの食糧不足に怒り狂った国民が皇居前でデモをします。このとき集まった国民は皇居内へ突入し、皇居内食堂の豪華な食材を見て驚いたそうです。

自分が始めて終わらせた戦争の影響でおびただしい数の餓死者が出ているにも関わらず、「お互いに助け合って生きろ」という他人事のような言葉を国民に投げかけているところに異様さを感じます。

誰のおかげでこんなことになっているんだという認識がまるでなかったのでしょう。国家による国民へのDVのようにも受け取れます。

そういや高齢者も案外知らない事実。敗戦の翌年、皇居前に25万人もの国民が集まり食糧難に抗議した。まじです。デモです。食糧メーデーという。GHQに怒られたけどw これを受けて昭和天皇は、"同胞互いに助け合い…"との声明を発表。

昭和21年5月1日、飢えに苦しんでいた人々は皇居に押し寄せ食糧メーデーが起こった。孤児たちは靴磨きをして路上で暮らしていた。その頃のある日皇族が食していたメニューは、平貝、海苔の酢の物、おでん、鮪の刺身、天ぷら、から揚げなど13品。

戦争責任について

[問い] 陛下は、ホワイトハウスの晩餐会の席上、「私が深く悲しみとするあの戦争」というご発言をなさいましたが、このことは、陛下が、開戦を含めて、戦争そのものに対して責任を感じておられるという意味ですか?また陛下は、いわゆる戦争責任について、どのようにお考えになっておられますか?(ザ・タイムズ記者)
[天皇] そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究していないので、よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えできかねます。
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%B8%E3%81%AE%E5%8E%9F%E5%AD%90%E7%88%86%E5%BC%BE%E6%8A%95%E4%B8%8B

1975年10月31日、日本記者クラブ主催「昭和天皇公式記者会見」で、戦争責任について問われた昭和天皇は、質問には答えませんでした。

戦争責任を追及されることだけは、なんとしてでも避けたいという強い意志が伺えます。これはつまり、戦争責任を追及されても仕方のない状況を昭和天皇自身が自覚していたとも言えます。

「言葉のアヤ」「文学方面はあまり研究していない」などと話をそらす態度に、戦死者を舐めきった本音を感じてしましまします。

昭和天皇が英字新聞記者に戦争責任を問われ「文学方面」には詳しくないから分からないと答えたのは有名な話。数千万人を殺した日本軍の最高責任者が、自分の引き起こした大惨事を「文学」の一言で片付けるのを、ロクに批判もしなかったメディアとコクミン。それが今の安倍政権を準備したのだ。

昭和天皇は75年の記者会見で、「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないのでよく分かりませんから、そういう問題についてはお答えが出来かねます」と答えている。昭和天皇が自身の戦争責任について全く反省せず、真摯に向き合ってなかったことは明白だ。

原爆投下はやむを得なかった

1975年10月31日、日本記者クラブ主催「昭和天皇公式記者会見」で、原爆投下について以下のようなやりとりをしています。

[問い] 戦争終結にあたって、広島に原爆が投下されたことを、どのように受けとめられましたか? (中国放送記者秋信利彦)
[天皇] 原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾に思っておりますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむを得ないことと私は思っております。
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%B8%E3%81%AE%E5%8E%9F%E5%AD%90%E7%88%86%E5%BC%BE%E6%8A%95%E4%B8%8B

「気の毒であるが、やむを得ない」と原爆投下を肯定するかのような発言をしていることに驚きます。

リアルタイムで見ていた国民は、あまりのサイコパスっぷりに「えっ…」と腰を抜かしたと思います。今風に言えば自国ヘイトと言えるかもしれません。

原爆投下という未曾有の事態になったことへの反省と国民への謝罪、せめて二度と戦争はしてはならないといったセリフが少しも出てこないことに大きな違和感を感じます。

動画を見る限り、昭和天皇は発言中に小刻みに震えていますが、これは自分の責任を追及されるのを恐れて極度の緊張状態になったからではないかと思ってしまいました。

「昭和天皇は戦争に反対だったが軍部に逆らえなかった」というのはウソだからな。天皇は自分のお気に入りの部下を殺した青年将校の決起に激怒して鎮圧を命じ、「もう一度戦果をあげないと難しい」と降伏を長引かせた。その結果が原爆投下だ。むしろ軍部は天皇に逆らうことはできなかったのだ。

TBS報道特集を今見ている。1975年の昭和天皇の記者会見で記者の、原爆投下で日本国民が多大な被害を受けた事についてどう受け止めているか質問したことに対し天皇は、「原爆投下はやむを得なかった」、と明確に述べている事に非常な驚きを受けた。日本国民は天皇に命を捧げ守ってきたのだろうに

昭和天皇の戦争認識がここまで酷いとは、恥ずかしながら初めて知った。戦争責任に関する質問を「言葉のあや」だとか「文学方面の研究はしてないので分からない」と煙に巻き、原爆投下に関する感想には「原爆投下はやむを得なかった」と返答。酷い。

沖縄をアメリカに差し出す

米国国立公文書館には、米国による沖縄の軍事占領に関して、宮内庁御用掛の寺崎英成を通じてシーボルト連合国最高司令官政治顧問に伝えられた天皇の見解をまとめたメモが保存されています。

内容は概ね以下の通りです。
(1)米国による琉球諸島の軍事占領の継続を望む。
(2)上記(1)の占領は、日本の主権を残したままで長期租借によるべき。
(3)上記(1)の手続は、米国と日本の二国間条約によるべき。
出典:https://www.archives.pref.okinawa.jp/uscar_document/5392

メモによると、天皇は米国による沖縄占領は日米双方に利し、共産主義勢力の影響を懸念する日本国民の賛同も得られるなどとしています。
出典:https://www.archives.pref.okinawa.jp/uscar_document/5392

簡単に言うと、昭和天皇は日本の防衛のために沖縄を占領し続けて下さいとマッカーサーに言ったわけです。

ソ連など共産主義の台頭を見て、「自分の身が危ない」と思ってアメリカに守って下さいと沖縄を差し出したわけですね。日本が共産主義化すれば当然、天皇制は廃止されます。沖縄県民のことなどまるでお構いなしという本音を感じます。

しかも実際には軍事占領だけど、「日本の主権を残したままで長期租借」という形にすれば日本国民や国際社会も騙せるでしょうと、ご丁寧にやり方まで提案しているわけです。恐れ入ります。そもそも日本国憲法下の天皇って日本の象徴で政治には関わらないんじゃなかったでしたっけ? 自分の身が危ないと感じたら話は別ってことなんでしょうか。

よりによって太平洋戦争で天皇制を守るために大量の戦死者を出した沖縄に対して、このようなことをするところに昭和天皇の人間性を感じます。この天皇メッセージのおかげで沖縄は今も苦しんでいます。ほとんど国家による暴力ですよね、これ。

沖縄戦5つ目の史料は、 5.1947年9月と1948年2月の2回『昭和天皇メッセージ』 戦後沖縄を「米国に売った」天皇の戦後責任。昭和天皇はマッカーサーに、反共の観点から「日本」を守るとりでとして、沖縄の軍事基地化を提案し、さらに「日本」の防衛を米軍に委ねる旨の書簡を送った。

米国務省へ伝えられた≪天皇メッセージ≫1947年 「天皇は沖縄の軍事占領継続を希望されていて(中略)沖縄を25年ないし50年あるいはそれ以上の貸与という形を取るべきであると・・」 なぜ敗戦後も天皇は政治に口出しをしていたのか?

東京大空襲を指揮したカーチス・ルメイ少将に勲章を授与

3月10日、東京大空襲を指揮。
3時間で、日本は死者行方不明含め10万人以上、被災者100万人以上、約6平方マイル内で25万戸の家屋が焼失した。
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%82%A4

焦土作戦は、東京や大阪、名古屋等の大都市を焼き払った後は、富山市や郡山市などの地方の中小都市[17] も対象となった。これらの空襲は日本国民を震え上がらせ、日本側から「鬼畜ルメイ」「皆殺しのルメイ」と渾名された
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%82%A4

1964年12月7日、日本に返還されたばかりの入間基地(旧・ジョンソン基地)で、勲一等旭日大綬章を浦茂航空幕僚長から授与された
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%82%A4

戦後の日本は、東京大空襲を指揮した米軍の指揮官に勲章を与えています。

意味不明の行動です。さすがに昭和天皇による直接授与はなかったようですが、それは慣例通りとのことです。勲章にはしっかりと「裕仁」のサインと印鑑があります。つまり、昭和天皇が勲章を上げることを認め、GOサインを出したわけです。

このような場合、「戦後の天皇は政治には関われない。すでに授与が決まっていて判子を押すしかなかった」という反論をする人がいます。しかし、これは間違いです。「沖縄メッセージ」では政治に関わっておきながら、こういうときだけ「政治には関われない」と言うのは二枚舌です。そんな言い訳は通用しません。

▼3月10日の東京大空襲 を指揮したカーチス・ルメイへの勲一等旭日大綬章授与(航空自衛隊育成に協力したため)を閣議決定した佐藤栄作の発言 「今はアメリカと友好関係にあり、功績があるならば過去は過去として功に報いるのが当然」 ※なお昭和天皇はルメイと面会せず、親授も無かった。

東京大空襲で多数の市民を虐殺したカーチス・ルメイに、天皇裕仁が授与した勲章。吉川勇一さんの市民葬で袖井林二郎さんが紹介された実物のコピーです。

戦争責任を言われ「つらい」

「仕事を楽にして細く長く生きても仕方がない。辛いことをみたりきいたりすることが多くなるばかり。兄弟など近親者の不幸にあい、戦争責任のことをいわれる」
出典:https://www.nikkei.com/article/DGXMZO34467630S8A820C1CR8000/

戦死した人の家族はもっと辛いんじゃないですかね? あまりにも酷すぎて唖然としました。

よく読むと、「戦争責任があると言われる」のがつらいだけで、「戦争責任を感じてつらい」わけではないことがわかります。

なんで戦争責任だとか言われなきゃいけねーんだよ、と侍従に愚痴ってるわけです。

本当に広島、長崎、沖縄、東京大空襲とかが自分の責任だなどと少しも思ってないんですね。この記事を見るたびにとても残念な気持ちになります。

「『戦争責任言われつらい』晩年の昭和天皇吐露」 昭和天皇は、中国侵略でも対米英開戦決定でも、軍の最高責任者として侵略戦争拡大の方向で積極的に関与した。個々の軍事作戦に指導と命令を与え、戦争末期の45年に入っても戦争継続に固執して惨害を広げた。歴史の事実だ。

データの取得に失敗しました。ツイートIDまたはAPI接続用アカウント情報を再度確認して下さい。

天皇裕仁の「戦争責任つらい」話。 まさに加害者なのに全力で被害者ヅラして二次加害する「日本人らしさ」の総本家だけある。 まったくほめてない。 そら安倍だって何だって「小天皇」なんだから責任とらんわ。

戦争責任を感じての「つらい」ではなく、戦争責任を言われての「つらい」。この違いは大きい。

まとめ

昭和天皇が誤った判断を繰り返し、また周囲の人間も何も言えなかったことで、多くの人が命を落とし、深く傷ついたことがわかる。

ここで「表現の不自由展」に展示された昭和天皇の写真を焼く作品を引用してみよう。

SNSなどでは多くがこの作品に批判的だが、私は昭和天皇の発言、行動に対する批判表現として正当なものだと思った。少なくとも、昭和天皇には写真を焼かれても仕方のない発言、行動があった。

これだけ戦争に深く関わっていたのだから、戦争責任を指摘されるのは当然のことである。

息子である明仁、現上皇陛下はそのことを深く理解していたので、平和を全面的に称賛するスタンスをとった。

一方で、昭和天皇や皇室への崇拝は、昭和時代よりも強まっているように見える。少なくとも、表現の不自由展へのSNSでの反応を見るとそう思う。

昭和天皇が批判されると、まるで自分が批判されたように発狂する幼い人間が増えた。「日本人の心が踏みにじられた!」などと難癖をつける人間が増えた。アンケートもとってないのに、どうして日本人の心が踏みにじられたかどうかわかるんですかね。

昭和天皇によって苦しめられた一般庶民の息子、孫世代が昭和天皇を崇拝しているというのはとても皮肉だ。

おそらくこの傾向は、今後さらに強まる。

大日本帝国が失敗した原因は、昭和天皇のような軍人でもない、政治家でもない凡人に強大な権力を持たせたことだ。選挙や第三者の審査を受けていない資質のない人間が国家運営に関わったことで、多くの誤った判断がなされ、日本人・外国人の多くの命が失われた。

この失敗を繰り返さないために、天皇、および皇室が再び権力を持つことがないよう、常に監視しなければならない。少なくとも、国家運営は選挙によって選ばれた人間によって、つまり国民主権によって行われる状態を維持しなければならない。そのためには昭和天皇のクズ発言、クズ行動を後世まで語り継がなければならない。

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で

2019年8月6日近現代の政治・戦争

Posted by galapgs