「英霊に感謝」は昭和天皇の戦争責任と戦前日本人の愚かさをなかったことにする悪質なすり替え論理である

8月15日の終戦記念日には靖国神社に祀られている戦没者を「英霊」と崇め、「英霊に感謝しよう」という世論が支配的になります。この記事では「英霊に感謝」という論理の間違いと、それを支持する戦後日本人の群集心理について分析しています。

毎年、8月15日になると靖国神社への参拝が話題になります。

靖国神社は第二次世界大戦の戦時者を「英霊」として祀っている神社でもあることから、右寄りの思想を持つ靖国参拝者からは「英霊に感謝」「英霊が命をかけて日本を守ってくれたから今の日本がある」といった言葉が繰り返し語られます。

しかし、本当にそうだろうかという声が日増しに強くなってきています。

英霊とは大日本帝国において命令によって徴兵され、死んでいった人たちであり、しかも大半は餓死者です。現在、右寄りの人たちが主張するような「命をかけて平和な日本を取り戻す」という思想を持ってはいなかったと推察されます。

この記事では「英霊に感謝」と主張する人たちの危険性を指摘するとともに、「英霊」を過剰に美化する風潮の裏にある日本人の群集心理を分析するツイートをまとめてみました。


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「英霊に感謝しろ」と主張する極右政治家・稲田朋美への反論

令和最初の靖国参拝。朝、安倍晋三自民党総裁の代理として参拝し、その後「伝統と創造の会」のメンバーと参拝しました。いかなる歴史観にたとうとも祖国のために命を捧げた英霊に感謝することなくして道義大国は実現しません。

祖国のために命を捧げた英霊310万人の6割が餓死か病死。「命を捧げた」んじゃない。日本政府が勝手に始めた侵略戦争の犠牲になって「無駄死に」させられたんだよ。言葉に酔うの止めてくれ。そういうのは気持ち悪いんだよ。吐き気がする。

とっても軽い調子で 「英霊」などと簡単に言う人たちは、 戦争世代の神経を逆なでしているだけなのだが・・(^_^) 「祖国のために命を捧げた英霊」ではなく、 「国家権力が始めた無謀な戦争で命を落とした犠牲者」です

「英霊に感謝する」という人は大抵、「英霊とされた人達の無念や怨みや悔しさ」を無視する。これほど個々の故人に対する侮辱はないのではないか。国家に殺された人達を、霊には口がないのをいいことに、自己満足のために利用してるんだから。人として下の下です。

「代理」として行ったのなら、安倍総理の靖国参拝と同じことでは。侵略の先鋒になって虐殺、略奪、強姦の限りを尽くした挙げ句に、たまたま返り討ちにあって死んだ天皇の家来たちに感謝するのが道義大国?外道大国の間違いでしょう。

8月15日の全国戦没者追悼式に史上初めて欠席した防衛大臣が、靖国参拝とか道義大国とか寝言を言ってる。 笑わせるな。

志願したわけでもなく、国家の命令でイヤイヤ戦場に行き、死にたくないのに死なねばならなかった兵士を「命を捧げた」と言っちゃうんですね。 国家に殺された兵士たちには感謝ではなく謝罪をして、同じような過ちを繰り返さないことを誓いたいです。

あなたが「祖国の‥英霊に‥」と語るたびにワタシは思う――大本営による兵站への補給も絶たれ血飛沫にまみれる前線兵士に対して、海を隔て冷房の効いた大本営に居る司令官が「突撃命令」を下して後、遊里に繰り出した姿を。あなたには大本営司令官同様「兵は死地なり」の地獄への想像力が欠落している。

海外で亡くなった戦没者240万人。戦地に取り残された遺骨112万人。まともに遺骨収集も行わない国の元防衛相が何を言うか。しかもDNA鑑定をまともに行わず1149人しか身元が判明していない。それを隠すため靖国神社に「英霊」と称して祭り上げる。姑息。 映像はNHK「戦没者は二度死ぬ」。

国民はお国のために血を流せ発言ですが事実ですよね。おたくのご子息が一番に血を流されてはどうですか、うちはお国のために血を流せなんて絶対言わないので平和のために尽力しろとはいいますがね。だから稲田さんのご家族親戚ご本人から戦闘の第一線の一番血の流しやすいところへ志願お願いします。

あの戦争の戦死者は「祖国のために命を捧げた英霊」ではありません。 「当時の国家によって死に追いやられた犠牲者」です。 英霊として祀れば、また同じ悲劇が繰り返されます。

英霊という美辞麗句のもとで虫けらのように死んでいった方々の無念を考えたら感謝というより心からの陳謝すべきでしよう。国民個人がなくてなーにが国家だってこと。そんなに命を捧げよとか言うなら、ご自分、そしてご子息ご家族が死地に赴いてくださいな。御国の盾となってね

これだけは伝えておきます。 祖国のために命を捨てることを美徳とする風潮を作り出し、国民には命を捨てさせ、その裏で自分は赤坂の料亭で酒を楽しみ、戦争に負ければ責任を他人になすりつけるような戦犯にならないでください。 絶対にならないでください。

「命を捧げてくれてありがとう」ってこわい。死ぬ必要なんてなかった歴史を生きていて欲しかった。さぞ無念だったろうと思うし、どうして犠牲にならなくてはならなかったのかと思わずにはいられないし、二度と繰り返してはいけないと思う。

岸はじめ自分達の欲望のために起こした戦争だろう。あらぬ報道で国民をあおり、若者を犠牲にした戦争だ。自分達に不利な資料を廃棄し自分たちは悪くないという考えがこの国を駄目にしてる。許される仕業ではない。自分から素直に悔い改めない限り地獄は今後も続き、住めない環境になり地獄を見る。

「感謝」は自発的にするものであって、「感謝しろ」「感謝すべき」ということ自体、道義的におかしい。


「今の平和な日本があるのは英霊のおかげ」と信じて疑わないネトウヨ

今の平和な日本があるのは英霊のおかげ。これは間違いない!人それぞれどんな思いだったなんてわからない。でも今私たちがこうやって日本で暮らしていることに感謝の気持ちはないの?もう戦争はおきないように願いながら参拝しましょうよ。無駄死になんて言って失礼極まりない!

大日本帝国によって殺された人を「英霊」扱いして、戦争の教訓も活かさずに「感謝」して、「間違いない!」と何の根拠もなく断言。こういう言説を聞いたら亡くなった方々も「無駄死に」だったと悲しむだろう。

無条件降伏だから無駄死に 戦後復興を遂げ、今の生活があるのは、別に大量の戦没者のおかげではなく、便利でいい生活を求めた人たちのおかげ。 ここを間違えると 「平和ないい生活のためには、戦争が必要」 という誤った判断になる。

英霊のおかげではない。 英霊とされている人たちは国家によって死に追いやられた犠牲者だ。 今まで靖国神社や日本の一部の人は間違って伝えてきた。 なぜなら、彼らを「英霊」にすり替えることによって、彼らを死に追いやった責任を消し去ることができるからだ。

今の平和な日本があるのは、我々が300万余の日本兵の命と数千万の戦争犠牲者の命と引き換えに日本国憲法を手に入れ、日本国民が戦争の惨禍を二度と起こすまいと不断の努力をしてきたから。 決して「英霊」が連合国から国を守ったからではない。

日本軍の幹部が、片道切符で食糧や武器の補充も一切せず、兵士のほとんどは餓死と戦病死でした。そんな状況下、誰がそんな国のために死ぬんだろう?悲惨な最期の真実を知って欲しいんじゃないかね。英霊とかって、A級戦犯の騙した奴等と一緒に有耶無耶にされたくないと絶対に思います。

彼らにも今と同じような「平和な日本」を生きてほしかったわ。それは二度と同じ事を国に繰り返させないこと、国民が繰り返させないことでしか返せない。

「英霊のおかげ」「無駄死にではない」とは、非業の死を遂げた者たちへのフリーライド感覚をうまく表現してると思う。かつての日本は多大な者たちに非業の死を強制したのに、どんな思いだったかはしったこっちゃない、とは。だからこそ、この手の暢気な「おかげ」論を廃さねばならない。

まず「英霊」じゃない。「戦死者」だ。 それから今の日本は平和じゃない。少子化を止められず、没落する一方。東京五輪でその没落ぶりが世界に知らされるだろう。更に格差の拡大で社会不安も増大中。 今、日本が戦争をしていないのは平和憲法のおかげ。 あなたは理屈がむちゃくちゃです。ただそれだけ


戦没者は大日本帝国というブラック企業で過労死した人たち

8月15日は、「英霊に感謝する日」ではなく「"英霊"を死に追いやった大日本帝国を批判的に考える日」と考えるのが良いでしょう。 「無駄死にではない」と思いたい人の気持ちもわかりますが、それは結局「人々を死なせた帝国の所業は正当だった」という思い込みにつながる危険があります。

→既にあちこちで指摘されてるとおり、 大日本帝国=ブラック企業 戦没者(「英霊」)=過労死者や労災事故被害者 と考えれば、「英霊に感謝しろ」「英霊のおかげで平和がある」という発想のおかしさがわかるでしょう。

祖母が、戦争でなくなったおじいちゃんのことを、「じいちゃんは靖国などにはいない、ここにいる」と仏壇を指し示していたことを毎年思い出します。 どうして大切な人を奪われたのに靖国だの英霊だのいえるのか不思議です。

「大日本帝国の政治家や軍の幹部が国民を死に追いやったことを批判的に考える日」と言う方が分かりやすいかもしれないですね。戦死することもなく、日米開戦の詔書に署名をした安倍首相の祖父岸信介などの名前と共に。

先の敗戦を、悲劇物語として見ず システムの重大なエラーとして始まりから終わりまで点検した方がよいと思います。 システムのバグ取りなどを一切せずに戦後政府も肥大してきたと思います。 そして重大なインシデントの種はもう顔を覗かせているとニュースを見て思います

ここは一歩進んで、「政府が真に謝罪すべきはまず日本国民に対してである」という日にした方がいい。これなら左右まとまる。

左派は今まで通りでいいし、右派は「外国人よりもまずは日本国民に対して謝罪しろ」と主張できる。韓半島出身者も当時は日本人だから問題ないし。

PTAにも日本会議の意識高い系いるんだけど、あいつらも戦没者(しかも軍人限定)への「感謝」を言うんだよ。先ずは自国民への謝罪だろ。

あんな死に方をさせて申し訳ありませんというスタートラインに早く立て。

英霊の犠牲のおかげで今の日本の平和がある、とか言う人がいるけど、戦後日本の繁栄と平和をもたらしたのは、戦後に生きた人々が頑張ったからではないですかね。 なんなら戦没者たちがもし生きていたら、日本はもっと豊かで平和で幸福な国になっていたと思いますよ。

話は分かるんだがなぜ戦没者の追悼と大日本帝国批判は両立しないのか? 事情はどうあれ何かを守るために戦場に立ち亡くなられた方々を悼みつつ、その状況を作ってしまったもの(大日本帝国だけではない)に対する批判をすることはできないのか?


「英霊に感謝しろ」という風潮へのネットの反応

いいか「英霊」というロジックは、イジメで自殺したクラスメイトに対して、イジメたヤツが… 「彼はかけがえのない大切な仲間でした。本当に残念です…」 …と何食わぬ顔で言っている鬼畜野郎と同じだと思え。

英霊って靖國神社が持ち出してるロジックだけど、これって怨霊信仰の亜種なんですよ。太宰府天満宮の道真や神田大明神の将門みたいに無念で亡くなった人を英雄として讃える事で「恨まないでね」と鎮魂するのが目的です。だから、そのロジックで言えば「英霊」って無念を残して亡くなった人なんですよ。

そう考えると「英霊に感謝」とか「英霊のおかげで今の日本がある」という考えに結びつくのは正しくないんですよ。じゃなく「無念でしたね。安らかにお休みください」というのが正しい鎮魂の在り方でしょう。感謝されても「英霊」は困ってしまいますから。

このコスプレを見て日本がヤバい方向に向かってると思わない人は感覚が麻痺しているんじゃないかと? 靖国の英霊は国に祀ってほしくなんかなかったはずなんだよ。英霊たちは国に殺されたんだ。何か間違った事言ってますか?

ネトウヨってさ、特攻で命を捧げたパイロットを崇めたり、讃えたり、「英霊」扱いしたりして、美化しているけどさ、特攻隊の「生存者」に対しては一切触れもしないし、見向きもしないし、話を聞こうともしないよね? いや、別に特攻隊に限った話ではない。激戦地で生還された方の話も聞かない…

私の祖父はいわゆる英霊だが、遺品として国が送ってきたのは、懐中時計と勲章だけだそうだ。懐中時計は裏蓋を開けると「大久保」と書かれている。もちろん祖父の苗字は井上だ。英霊と持ち上げても、国にとっては個人など区別しなくていい小さな存在に過ぎないと教えてくれる、貴重な遺品である。

「英霊」は遺族を黙らせるためにある言葉だ。国家が英霊扱いするのだから文句は言うな、と言うわけだ。英霊への感謝を訴求する政治家は、国民が英霊に感謝しないと遺族が騒ぎ出して誰も国のために死ななくなるだろう、と言っているのだ。気安く英霊と言う言葉を口にする政治家だけは信用すべきでない。

戦没者に対しては、感謝するのではなく悔しみ悲しむべきなのだ。不幸な巡り合わせや、愚かな指導者たちによって命を無駄にされ、それまで努力してきたこと、抱いてきた夢、送れたかもしれない幸せな人生を奪われたのだ。当人たちの悔しさやるせなさに向けて、ありがとうとなどと言えるものではない。

ちなみに私の祖父は艦長で、沈んだ船は回収されておらず遺品はない。そのことは当時から分かりきっていたことなので、手違いで他の人の遺品が送られてくることなどはない。遺品を選ぶ担当者も、何を艦長の遺品とするのが相応か考えただろう。担当者が仕事に忠実になればなるほど、個人は消滅するのだ。

そう、英霊に感謝って、自分が殺しておいて、その人が自主的に死んでくれたようにしている事が気持ち悪いんだよな。

太平洋戦争で300万人の兵隊が「お国の為に闘って死んだ」という。 そして英霊になって「靖国」に祀られたというけど6~7割は戦闘もせずに「餓死」か「病死」 「お国の為に闘って死んだ」んじゃなくて「お国のせいで闘う前に死んだ」という方が正しい。 歴史は正しく教えましょう安倍。

もっと酷いのは太平洋戦争のきっかけとなった真珠湾攻撃の際に日本はアメリカに「宣戦布告」をしてない。してないというより30分遅れた。 だからアメリカは「騙し討ちされた」とキレた。 その「宣戦布告」の電報を遅らせた大使館員には何の咎めもなし。 佐川が不起訴になったのとそっくりだ。

「英霊」なんておりません。愚かな権力者が国策を誤ったことによる「被害者」(国民)です。権力者と国民という関係性をまぜこぜにしてはいけません。「権力者の過ち」がうやむやにされてしまいます。敗戦から74年の今日、私たち「国民」は二度と「権力者」に騙されないぞと思います。


まとめ

まずはっきりさせておきたいのは、今の平和な日本があるのは「英霊」のおかげではなく、アメリカが制定した日本国憲法のおかげであるということ。

アメリカが憲法9条を作ってくれたおかげで戦後日本は戦争をすることなくいられたのだ。

よって戦後日本の平和を享受する日本人は、まず何よりもアメリカに感謝しなければならない。

アメリカ様ありがとうございます。
アメリカ様ありがとうございます。
アメリカ様ありがとうございます。

今の平和を「ありがたい」と感じるならば、8月15日にはアメリカへの感謝を大きな声で唱えよう。

靖国神社に祀られている「英霊」は大日本帝国の誤った判断によって、無理やり戦争に駆り出され、命を落とした被害者であり、気の毒ではあるが感謝すべき対象ではない。

また、大日本帝国時代の国民世論は日米開戦を支持していたことを忘れてはならない。大日本帝国の判断も誤っていたが、当時の国民の判断もまた誤っていたのである。

その時代に生きていた「英霊」は、当然のことながら戦後の「アメリカの属国ではあるが平和な日本」を望んでいたわけではなく、「アメリカに勝ち戦勝国として君臨し韓国や台湾、東南アジアを植民地とする大帝国」を望んでいたことになる。

「英霊に感謝」という言い回しのインチキがここにある。

戦没者が愛国心のために自主的に命を捧げたかのようなロジックで大日本帝国、とりわけ国家元首であった昭和天皇の戦争責任を曖昧にしているのが1つ目のインチキ。

次に当時の日本国民は日米開戦を熱狂的に支持していたにも関わらず、戦後は「自分たちは軍部の被害者」のような顔をして、自分たちの過去の愚かさをなかったことにしようともしているのだ。

引用してたツイートにも書いてあったが、今の平和な日本が英霊のおかげだと言うならば、平和国家を作るためには戦争をしなければならないことになる。そんなはずはない。

本当の意味での民主国家と平和な日本は、第二次世界大戦・太平洋戦争をしなくても、当時の国民が望めば作れたはずなのだ。当時の状況や国民の知性から、それは無理だろうと思うが、可能性としてはあった。

そう考えると、8月15日には、英霊に感謝するのではなく、戦没者の気の毒な人生に哀悼の意を表すくらいが正しいのではないか。

また、昭和天皇や大日本帝国政府、軍部の戦争責任に加え、当時の国民の愚かさを嘆くとともに、アメリカが日本国憲法を授けてくれたことを何度でも感謝しなければならない。

なぜなら、終戦直後の日本人に憲法を作らせたら、国民主権も基本的人権もない、大日本帝国憲法とさして変わらぬものができていたことが想像に難くないからだ。

よって、8月15日には英霊ではなくアメリカへの徹底的な感謝を表明するのが正しい

靖国神社へ集まった日本人が全員で「アメリカ様、ありがとうございます!」と唱和している姿が海外へ発信されたら、日本人が真の意味で戦争を反省していることが世界の人々へ伝わるのではないだろうか。

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近現代の政治・戦争

Posted by galapgs